カテゴリ:小説-黄金のドア(完)( 5 )

黄金のドア

 8. 束の間の自由


 クールに指示された通り、祥一郎はその小さな体を活かして格子を潜り、自分の身長とほとんど変わらない大きさの鍵を取ってきた。彼が床を滑らせて牢の中に入れたキーを、芳真が素早く拾い上げ、重たい南京錠の穴に突っ込む。
「水都見つけて逃げるぞ、こっちだ!」
 やけに恰好良くひらりとかしげに跨がって、祥一郎が怒鳴った。クールの長い足をかい潜って、犬は一目散に廊下を走りだす。
 ガチャン、と閉まった時同様の音を立てて、鍵が開いた。芳真が肩をぶつけるようにして扉を開け、外へ飛び出す。犬はもう突き当たりまで行っていて、角を曲がりかけている。
 舞も二人の後を追って駆け出そうとした。が、できなかった。
「っ、おい」
 祥一郎は行ってしまったが、芳真は気がついて立ち止まった。クールが片手で、舞の襟首を捕まえている。
「ちょっとクールさん、離してよ」
「おっさん何すんだよ、出ていいって言ったのおっさんだぞ」
「そんなこと言ったかな? 私は」
「言ったぜ、小人がいれば出られるって」
「ああ」
 クールは合点がいったと頷いて、舞を掴む手を襟首から腕にずらした。
「出られるとは言ったけど、逃がすとは言ってない」
「なっ」
 舞は逃れようとジタバタしたが、クールの力は緩まない。痛いほどの力でもないけれど、離す気もまるでないらしい。
「何言いやがるてめえっ、俺のこと騙したな!」
「大人ですから。騙し騙されて生きるもの、それが人間だぜ、兄ちゃん」
「この野郎おお」
「やめて、芳真君!」
 殴りかかろうとする芳真を、舞は焦って止めた。勝ち目がないような気がする。
「クールさん、離してよ! だって芳真君、犯人じゃないんですよっ!!」
「そんなことはどっちでもいいのさ」
 さらりと言ってのけるクールに、舞と芳真は顔を見合わせた。高いところから、さらにクールが言う。
「要は犯人らしい男がいれば、それでいい」
 先刻までのおちゃらけた態度からは想像できない、艶っぽい低い声で。
 犯人らしい男がいればいい。
 なんて、どういう意味だ。これでは何だか、まるで。
 ──まるで犯人が誰か、本当は知ってる、みたい。
「クールさん」
 舞は振り返り、ほとんど直角に顎を上げないと見えないくらい上にある、クールの顔を見上げた。赤い炎に透ける、アクアマリンの瞳。
「あんたはあたしたちの敵なの、味方なの」
 芳真も黙って、彼の返事を待っている。
 だがクールは何も言わず、手にしていた松明を半開きの鉄格子の側に放り出した。他に燃えそうな物はないから、火事にはならないだろうが。
「おっさん」
 言いかけた芳真が口をつぐんだ。クールは胸に舞を引き寄せて、先刻まで松明を持っていた方の手を、捨てた松明へ伸ばした。
「ドラゴンの咆哮、土を流し、狼の遠吠え、風を裂き、ここへ集う炎の夕べ。踊れ、発破の舞。鉄の障壁を七つの海の彼方へ──天啓を待て」
 妙な迫力に押されて、舞は息を詰める。クールが変わった節回しで呟いているのは、ひょっとして、呪文だろうか。
 クールは伸ばしていた手を一度自分の額に当てて、それから再び炎に翳した。そして。
「点火!」
 宣言した途端、炎が天井まで伸びて牢の扉を覆った。熱風が押し寄せて、舞は両手で顔を庇った。芳真も体を捩じって熱気の直撃をかわす。
 舞が恐る恐る手を離して見ると、もう炎はなく、熱でぐにゃりと歪んだ扉が、無残な形で土の廊下に倒れていた。完全に、壊れている。
「な……なんで?」
 わざわざ牢を壊すなんて。
 舞の問いに、クールは小さな目でウインクすると、ニヤリと笑った。

     ◇    ◇    ◇

「……それであんたはどうするつもりなんだ」
 耳の奥に、まだ細い笛の音が残っている。
 バンドの練習は終わっている筈だ。これはだからきっと、耳鳴りだ。
 アクセルは軽く頭を一振りして、壁を背に立っている水都を見返した。
 この国の女たちで、ショートカットにしている者はごく少数、というよりほとんどゼロだ。水都のように白いうなじを完全に露出させているのは男だと、誰もが思ってしまうのも仕方がない。だがもし彼女が髪を伸ばし、裾の長く広がったドレスを着ていたとしても、他の者たちは思うのではないだろうか。美しい少年が、女に化けている、と。
 華奢な肢体に、凛然と見据える黒い瞳。彼女の名は体を表している。
 まるで、都を守るために天から遣わされた、水の剣を使う戦士のようだ。翼を持つ竜を従えて、遙か天空を翔けるもの。
「私を殺して、死体を始末して、それから?」
 ──あなたとは似合いだ。
 俺もそう思うよ、本当に。
「それからのことなんて、おまえにはどうでもいいことじゃないのか?」
「どうでもいいよ、あんたのことなんてね。私が訊いているのはこの国のことだ」
 落ちついた、堂々とした声。
 怯えている様子は微塵もない。これから殺されるかもしれないのに、この女は……鈍感なのか、強靱なのか。
 しかし。
「この国のこと?」
「ああ。私はいい、私は余所者だからな、死んだところでここの人々には何の支障もないだろう。だが、その後は? 今回は失敗したから、今度こそ父親を殺るのか? 復讐のために? それでどうなるんだ?」
「どうなる?」
 アクセルは足を組みなおした。ふと思いついて、脱ぎ捨てたシャツを着直す。
「自明の理だ。思い知るだろう」
「誰が?」
 間髪を入れずに水都が言った。声を荒らげもせずに。
「誰に思い知らせたいんだ、父親か? でももう死んだんだぞ。死んだら終わりだ、何とも思わないし何も感じない。思い知りもしない」
 風が吹いて、アクセルのシャツを膨らませる。
「それで何が残る、あんたには兄弟も子供もいない、後継者はなしだ。国民には不信を抱かせて、この総統家は没落」
 水都は唇の端でうっすらと笑った。
「思い知らせるには、あんまりいい手じゃないな」
「おまえ」
 アクセルは立ち上がりたくなる衝動を、膝に力を入れることで耐えた。その冷静な目が、淡々とした口調が、言われている内容よりもっと彼を苛立たせる。
「今、自分がどういう状況にいるのか判ってるんだろうな」
「あんたはどうなんだ。いいだろう、父親への当てつけに、占いで選ばれた妻を、汚れなき乙女たちを次々と殺していってみようか。あんたが殺ったってことは隠しても、死んだのは事実だ、あんたはそのうち『死に神アクセル』って呼ばれるようになって、誰もお嫁さんにはなってくれず、やっぱり後継ぎはなしだ。どうする? 一人ぐらい生かしておくか、それとも養子を取るか。どっかの誰かみたいに、占いで選んで?」
 やる、と思うより先に手が伸びていた。
 片手で充分なくらい細い水都の喉を、両手で締め上げる。手首の腕輪が夕日を反射して、ギラリとアクセルの目を射抜く。
「……あんたは」
 苦しそうの眉を寄せて、だが目は逸らさず、水都が言った。
「どう……したいんだ。私……を殺っても、何も……変わらないんだぞ」
 アクセルは鼻先で笑った。
「あれだけ平気でペラペラ喋っておいて、今更命乞いか」
「平……気じゃない。震えてるよ」
 水都が彼の手を引き剥がそうと爪を立てる。アクセルはいっそう力を込めて、彼女の体をつり上げた。
「アクセル……」
「ごめんなさいって言えよ」
 水都は一度ゆっくり目を閉じると、笑った。静かに、優しく。
 慈しむように。
「あんたは一生……黙ってるしか、ない」
「うるさい」
「どんな……に秘密が、重くても」
「うるさい、黙れ!」
「……可哀相、に」
「っ!!」
 アクセルは吊り上げていた水都を、力任せに床に叩きつけた。体のどこかが当たったのか、先刻起こしたイスがまた倒れ、ついでに鏡台にぶつかって鏡を震わせた。
《可哀相に》
 この女。俺を哀れんだ。
《可哀相に》
 この女。本当に俺のことを、可哀相がっている目で見た。
 処女のくせに──母のような、顔を。
「うっ……」
 頭を打ったのか、呻きながら水都が体を起こす。アクセルは血が逆流する気がした。心臓が喉まで競り上がった。
 獣の動きで水都にのしかかり、細い手首を押さえつける。水都が蹴上げようとする足を体の下に敷いて、もう一度首を絞める。固い布地のズボン、ボタンが外れない。自由になった手で水都に顔を引っ掻かれる。水都が叫ぶ。手で口を塞ぐ。噛みつかれる。殴って黙らせ──ようとした時。
「水都──っ!!」
 外から。窓の外から?
 知らない男の声が。
「迎えに来たぞ、返事しろお!!」
 相手がしゃがんでいるのか、姿は見えない。ヨシマ? まさか。
 アクセルは水都の首から乱暴に手を離すと、大股で窓に近寄った。だが外には誰もいない。いや、茶色の犬が一匹。
 いや、その上に。
「なんだ、こいつは」
「つまむなっ」
 犬に乗っていた手のひら大の男が憤慨そうにわめいたが、アクセルは気にも止めず、そいつの襟首をつまみ上げた。犬がやかましく吠え立てる。返せとでも言っているのか。
 ゲホゲホと咳き込みながら、絞められていた喉に手をやった水都が、アクセル以上に驚いた顔で小人を見た。
「祥……一郎……!?」
「おーす」
「知り合いなのか、おまえたち」
「しょ、祥一郎、どっ、どうしたんだその恰
好」
「ちっとな、いろいろあったんだよ。……それより、おいおまえ、いつまで人のことネズミ扱いしてんだよ、降ろせ!」
 アクセルは水都と小人とを交互に見た。二人が知り合いということは、この小さい男も余所から来た人間ということだろう。そういえば水都を拾った時、ヨシマの他にも男がいたような気がする。
 だがあの男は、もっと……ずいぶん長身だったと思うが。
「あっ、水都、ここんとこ腫れてるぞ、大丈夫か? おい、おまえ! 女に怪我させるなんて最低だぞ! 聞いてんのかっ!」
「うるさいな。何なんだ、おまえは。ひねり潰してやろう」
「アクセル!!」
 アクセルが小人を握り直すのと、水都が焦って彼にすがりつくのは同時だった。
 その一秒後。
「アクセル様!!」
 今度は廊下からだ。クールの声。
「何だ?」
 うんざりしながら怒鳴ると、ドアの向こうにいたのはノッポの魔法使いだけではなかった。
 乱れた金髪のヨシマと、知らない少女。前で手を縛られて、引っ立てられるように。
「舞!?」
 小人が指の間から叫んだ。少女の気の強そうな顔が、ヘニャと歪んだ。
「ごめん、捕まっちゃった」
「アクセル様、牢が壊されました。しばらくは使用できません」
 ……やれやれ。
 口には出さないが、胸の内ではきっぱり溜め息まじりに呟いて、アクセルはその場の全員を平等に眺めた。
 こいつらは全員、外の人間だ。始末を付けるなら、こいつら自身にやらせる方が手っとり早い。
「俺から逃げられると思うのか」
 アクセルは男を持っているのと逆の手で、水都を立たせてやった。決して乱暴な仕種ではなく、労るように。
 この気高い、美しい女を。
 憎んでいる訳ではない。少しぐらいは、いや実は結構──気に入った。
 好きだよ。
「クール、この者たちを鏡の間へお連れしろ。北の塔のな」
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by new-chao | 2005-08-10 19:18 | 小説-黄金のドア(完)

黄金のドア

 9. 黄金のドア


 独りぼっちの時
 自分がどこにいるか判ってる人なんているの?


 なるほどね、これはまさしく鏡の間だ、とポケットの中の祥一郎がブツブツ言ったが、縛られた手首を胸に抱え込むようにした舞は、ちょっと失望気味に部屋を見回した。
『鏡の間』なんて言うから、ベルサイユ宮殿みたいなのを想像したのに。これじゃ、あれよ、ナントカの間、なんて恰好いいもんじゃなくて、ダンス教室だわ。
 全面、鏡張り。
 壁四方、天井から五十センチ分くらいは明かり取り用のガラスだが、残りはびっちり床まで銀の鏡で、入ってきたドアも外は木だったが内側は鏡だ。その明かり取りから入る夕日の光で、今この間は夕焼けが乱反射している。
 合わせ鏡、七番目の顔が死に顔だって、前の中学で流行ったなあ。どんなに目を凝らしても、七つ目なんて小さすぎて見えないんだけど。
 この部屋作った人、何考えてこんな風にしたんだろう。昼間はいいけど、夜なんか不気味だろうな。
「どうぞ、もっと中央へ」
 軽く背中を押されて、舞はつんのめるようにして三歩進んだ。アクセルが言ったのかと振り向くと、どうかしましたか? と肩眉上げてみせるクールがいる。
 びっくりした、なんか今の声、やけに似てたわね。
 手首の縛めはクリーム色のリボンのような柔らかい布で、それほどきつくもないので痛くはない。ただ不自由なだけだ。
 舞の斜め後ろ、一メートルぐらい離れたところに、同じように手首を縛られた芳真がいる。水都は彼女の一歩分前にいて、縛られているのにも係わらず、別れた時と変わらず毅然とした姿だ。違うのはハーフコートを脱いでいるのと、こめかみの辺りが少し腫れているところだ。
 鏡越しに見つめていると、目が合った。水都はチラッと舞の足元を見て笑うように目を細めると、クールを振り返った。
「それで? ここで私たちを処刑するつもりですか、確かに掃除は楽そうですね」
 チラッ、って何だろう。
 水都が見たように舞も足元を見て、……慌てて床に座った。床も天井も鏡だったのだ。どうした? と祥一郎がポケットから見上げるので、何でもないと首を振っておく。
「お待ちを」
 舞の様子を見てクールも少し笑ったようだった。ローブの裾をひるがえして出て行こうとする。
 ここへ閉じ込めて、どうするつもりか。魔法でどうにかするつもりではないのか。
「待って!」
 舞が呼びかけると、長身の魔法使いは立ち止まった。短い金の巻き毛が、夕日に燃えているように見える。
「クールさんは」
 先刻クールが、巨大にしてみせた炎の色。
「真犯人を知ってるんですか」
 クールの小さな目が、秋の空みたいに清涼なブルーの瞳が芳真を見た。長い前髪の下から、芳真が彼を見返した。無表情で。
「……悪いな、兄ちゃん」
 一言だけ呟いて、クールは出ていった。
 他には誰もいないのに、見張られている気がする部屋に、四人だけ。
「舞ちゃん、大丈夫?」
 自分の方こそ怪我をしているくせに、どこまでも優しく水都が訊いた。冷たい床にペタンと座ったまま、舞は元気良く頷く。
「平気です。疲れただけ」
 水都が舞の手首を解いてみようと長い指を伸ばしたが、どういう結び方がしてあるのか、見た目にはただの片結びなのに解けない。
「魔法が掛けてあんじゃねーの」
 舞に倣って座り込みながら芳真が言う。言い方はぶっきら棒だが、前みたいに投げやりではない。
「舞、手、こっちやって」
 一人だけ縛めを免れた祥一郎が、舞の腕をよじ登ってリボンに掴まった。体重を掛けて引っ張ってみる。
「くうっ、やっぱ駄目だな。動かない」
「もう落ちないで下さいね」
 舞が膝の上に置いてやると、祥一郎はジロリと口で言いながら舞を睨んだ。
「はいはい」
 俺が落ちたんじゃなくておまえが落としたんだ、と言いたそうだが、言わないので舞も謝らないことにする。二人とも無事にまた会えたのだから、これでいいのだ。
「でもさあ、おまえあれは何だよ。忍法・ちょっとだけよってのは。忍法ってのはあ
んなもんじゃないぜ、戻ったら山田風太郎を読め」
 この後に及んで、まだ戻れる気でいるし。
「伊賀と甲賀の十番勝負なんか、化け物みたいな忍者がぞろぞろ出てくるんだから」
「はい、図書館で探してみます」
 舞が黙ると、途端に回りが静かになった。
 部屋一杯に夕焼けが広がって、明るく、幻想的と言えないこともない。が、どっちを見ても髪ぐしゃぐしゃの、薄汚れた自分がいる。疲れた顔でこっちを見ている。
 天井を見上げると、映った自分の顔がやけに蔑んでいるように見えて、舞は目を逸らした。目が回る。
 ……お姉ちゃん、今頃何してるかな。
 あたし、浦島太郎だったりして。あたしの感覚だと、こっちの世界に来てからまだせいぜい半日だけど、元の世界もそうとは限らないもんね。人生、明日はどうなるかなんて、本当判んない。
 お姉ちゃんは、学校で独りぼっちになったりしてないよね。あたしは転校生でヨソ者だから、無視されたり悪口言われても、しょうがないこともないけどさ。そりゃ、嫌だけど、でもしょうがない。
 あたしがいないから。
 お姉ちゃん、もうあたしの分は、我慢しなくてもいいね。
 いつも悪いと思ってたの。あたしばっかり優しくしてもらって、好きなようにさせてもらってた。ケーキでも手袋でもテレビ番組でも、あたしいつも先に選ばせてもらってたのに、別れ別れになるまで、そんなこと気がつきもしなかったの。お姉ちゃんはどっちがいいの、なんて、一度も訊いてみなかった。甘やかしてもらってて、それが当然だと思ってて、──お姉ちゃんの希望まで全然気が回らなかった。
 あたしガキで、嫌な奴だった。一人になって初めて判った。
 独りで。
 あたしどこにいるんだろう。ここはどこなんだろう。これから、どうなるんだろう。
 あたし。死ぬの、かな。
 死んじゃったらもう、お姉ちゃんに会えないね。……祥一郎さんにも、会えないね。
《死にたくない》
 死ンジャエバイイ。
 はっ、と膝の上の祥一郎が顔を上げて、舞を見た。思ったことが聞こえたのかと思うくらい、絶妙のタイミングで。
 だが、それより。
 今の何だろう。何か思い浮かんだけど。どこかで聞いたことのあるような言葉、あれはあたしの、声?
 舞は祥一郎の目を見返したまま固まってしまった。見つめ合っていることにも気づかないくらい、真剣に、瞬きも止まっていた。見えているのは切れ長で、吊り気味で、鋭くてちょっと怖い、でも揺るがずに美しい、二つの輝き。
 死んじゃえばいい。
 そう思ったこともある。でも生きてて、ここでこの人に出会った。この人たちに会ったあたしたちはまだ知り合ったばっかりで、友達じゃないし、『里見八犬伝』の八犬士みたいに文字の珠なんて持ってないけど。
 でも生きてる。
 同じ屋根の下、何にも知らなくても、信じてる。
「……しょ」
 祥一郎さん、と呼びかけようとした時、体を緊張させて彼がドアの方を見た。内側からだと一面鏡で、どこがドアなのか舞には判らなかったが、つられて目をやると。
「退屈させたか?」
 鏡の一部が切れて手前に開き、青いシルク風シャツに、すらりと足の長さを強調する白いパンツのアクセルが入ってきた。長い睫毛、少しだけ笑うように。
 嘲笑?
 ズカズカとブーツの踵を鳴らして迫ってくるので、舞は座り込んだまま尻で後ずさろうとしたが、アクセルの方が早かった。手を伸ばして、舞の手首を掴む。
「ひゃっ」
「おい、何すんだ!」
 膝の上で立ち上がった祥一郎を、アクセルはピシッと指先の一撃で一メートル向こうまで弾き飛ばし、縛めをぐいと引っ張って舞を立たせた。
「おまえだな、先刻門で大騒ぎしていたのは。なるほど、確かに処女の顔だ」
 腰に差していた探検を抜いて突きつけるので、ひえっと舞は引きつったが、アクセルはそれで手首の布をブチッと切っただけだった。急に手を離されて、舞はすってんと尻餅をついてしまった。
「だが悪いな、子供はお断りだ」
「っ、こっちだって、お断りよ、顔だけ一流の無節操王子なんか!」
「舞っ」
 転がったまま祥一郎が警告した。舞も言ってからしまったとは思った。
 だがアクセルは聞こえなかったような表情で芳真の手を解放し、最後に水都に近づいた。ロマンティックに水都の手を取る。
「これからどうする気だ」
 水都の静かな問いに、アクセルは表情を変えずに首を振った。
「どうもしない、おまえたちがやる。おまえたちが勝ったら、見逃してやるよ」
「勝ったら? 何と戦って」
「おまえたちと」
 アクセルの手に力が入ったように、舞には見えた。表情は変わらないが。
 ……この人、ひょっとして本当に、水都さんのこと好きなのかしら。
「俺もこの鏡の間の処刑を見るのは初めてだ、じっくり見学させてもらうさ、外からな」
「何を?」
「だいたい判ってるんじゃないのか」
 微笑して、アクセルは水都の指先に唇を触れさせた。一瞬だけ。そして彼女を縛っている布を切った。
「健闘を祈る。……クール、開けろ」
 捨て台詞を残して、アクセルは優雅に退場した。見学させてもらう、ということは、どれかがマジックミラーで外から中の様子が見られるようになっているのか。
 もう一度辺りを見回そうと、して。
 ──舞は凍りついた。
 歩いてくる。鏡の中の自分が。
 舞はまだ座っているのに。近づいて。ポニーテールを、風になびかせながら。
『おまえたちと』
 こういうこと、か……!
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by new-chao | 2005-08-10 19:17 | 小説-黄金のドア(完)

黄金のドア

 勝手口に置いてあるサンダルをつっかけて、門扉がガシャンと音を立てるのも気にせず道路に飛び出した。夜気がもわっと暑くて、胸に手をやって、自分が寝巻のままなのを思い出したけれど、もう戻れない。
 だから走った。回りも見ないで。
 真夜中の道路、あてもなく角を曲がって、飛び出して、アスファルトにサンダルが滑って、──ヘッドライトに、目が、眩ん、で……。
「ああ」
 水都は不意に呻いて、右足を庇ってしゃがみ込んだ。思い出した。
 撥ねられたのだ。
 轢かれたというべきか。
骨の折れる音が脳天まで響いて、ひっくり返って頭を打って、気がついたらあのサバンナを横切る道にいた。どこにも痛みがなくて、だからうっかり忘れていたのだ。
 自分が昨夜、事故に遇ったことを。
「やっ、どうしたんですかっ? 水都さん、大丈夫!?」
 舞がすかさず近寄って、助け起こそうとしてくれたが、水都は立ち上がれなかった。
「大丈夫だ……触らないで。折れてるみたいだ」
「なっ、なんで!? アクセルに何かされたんですかっ」
「違うよ、ここへ来る前に」
『事故に遇った。前も見ないで、やたらに走るから』
「っ!?」
 口をきいたのは鏡の中の水都だった。舞が声にならない悲鳴を上げた。
 グレーのタートルネックに黒のジーンズ、黒のアンクルブーツ。薄着なのに、十六歳の娘にしては、自分でも呆れるくらい胸がない。しゃがみ込んでいる自分を見下す、冷静な目。見返している自分もきっと同じ目だ。
「水都さん……!」
 近づいてくる。
 舞が手を貸してさがらせようとしてくれたが、水都は動けない。鏡の中の舞が、活動的なポニーテールにしている以外は隣にいる舞と同じ舞が、ニヤリと笑った。嘲った。
『気絶した』
『眠った』
『夢を見た』
『だからここへ来た』
 破れていないシャツの芳真が、元通りの長身の祥一郎が、棒読みに喋りながら近づいてくる。迫ってくる。
「だから……? だからって何?」
 同じ顔をして。自分を軽蔑して。
 背中に、何か隠してる?
「だから来たって、どうして来たって言うのよ!?」
 水都の腕を掴んだまま、舞が気丈にも訊き返した。ドッペルゲンガーたちは顔を見合わせて、声を合わせた。
『おまえが望んだから』
『人の死と、自分の死を』
『自分の死を』
 四人は背中に隠していた手を前へ出した。そこには美しい、鏡と同じ銀の剣が握られていた。
 殺意。


 死ンデ シマエバ イイ。


《 死 ね 》
「やだああ!!」
 頭の中に直接響いてきた声は、紛れもなく自分のものだった。舞は堪えきれずに叫んだ。怖かった。
 また一歩迫ってくる。踊るような軽い足取りで、ポニーテールのあたし。疲れても汚れてもいない、元気でやる気だ。
「あんた、あんた何なのよお!?」
『あたしは、あたし。隠れてる、邪な、本心のあんた。いやらしいこと考えてる』
「いっ、いやらしいことって何よ、あたしそんなこと考えてない!」
『考えてる。何にもしないで、他人のせいにしてる。自分のこと可哀相がってる』
「舞、耳を貸すな! こんなの幻だ」
 すっ飛ばされた姿勢から起き上がりながら、鋭い声で祥一郎が言った。舞は水都から手を離して、焦って彼を拾った。万一誰かに踏まれたら、彼にはそれだけで致命傷だ。
『偉そうに。何にもできないくせに』
 大きい祥一郎が冷たい声で言った。舞の手の上で、本物の祥一郎が身を固くした。
『でもおまえもそれを知ってる。何でもできる自分は偽物だって知ってる。知ってるくせに気がつかないふりをしてる、臆病者』
『ロクデナシ』
 背後で空を斬る音がした。間一髪で剣をかわして、芳真が滑る床を一回転する。白い胸に浮かぶ傷痕、夕焼け色に燃えて。
「芳真君!」
 彼の白いシャツに広がっていくのも、夕焼けかと思ったが、違う。肩の傷だ。コンドルにやられた怪我が、開いてしまったのだ。
「やだっ、やめてよ!! どうしてこんなこと」
『死にたいでしょ?』
 嬉しそうな声で舞が言った。だが顔はまるで笑っていない。
 舞はゾッとした。自分がこんな残酷な顔をするなんて。
 こんなのあたしじゃない。
『こんなのあたしじゃない。家でも学校でも独りぼっち、誰とも喋ったり笑ったりしてない。いつも下を向いて、いつもあたしだけ、いつも耳を塞いでる。あたしはどこにいるの』
 あたしはどこにいるの。
 どっちを向いてもこっちを見てるあたし、ここで座り込んでるあたし、剣を構えて覚悟決めてるあたし、どっちが本物なの。投げやりで諦めて生きてるのと、真剣に立ち上がって自分を殺そうとしてるのと、どっちがいいの。
「あたしは……どこに」
《ここに》
尖った切っ先が夜空を流れる星のように、ためらいなく舞の心臓を刺し示そうとした。舞の手のひらで祥一郎が腕を広げた。
「やめろ!!」
 すかさず大きい祥一郎が、小さい祥一郎を平手で弾き飛ばそうとする。咄嗟に舞は後ろに飛びすさった。大祥一郎の平手二発目が舞の頭をヒットして、舞は水都の側まで吹っ飛んだ。
「やめろ、秀一郎! おまえの相手は俺だ、おまえが憎んでるのは弟の俺だろう!!」
『俺は憎んでない』
 贋物の舞が剣を払って、舞は床を尻餅をついたままの尻で後ずさった。祥一郎が彼女の指の隙間から飛び下りて、贋祥一郎と対峙する。
「しょっ、祥一郎さん!」
『俺が憎んでるのはおまえ。秀一郎はおまえじゃない』
「祥一郎さん、戻ってよお!」
 ヒュンッ、と耳元を掠めて剣が振り下ろされ、誰かが舞の腕を引いてそれをかわした。ずでっ、と舞は転び、肩を思いっきり打ってしまう。
「痛っ」
「人の心配してる場合じゃねーぞ」
「芳真君、血がっ」
「気にすんな」
 芳真はシャツを脱いで体の血を拭くと、丸めて贋芳真に向かって放り投げた。
『俺は殺したい。おまえ』
 相手は瞬きもせず一刀両断にした。ばっさりと。
 あっさりと。
『死にたいだろう?』
「祥……!!」
 贋祥一郎が足を振り上げて祥一郎を踏んだ。芳真が息を飲んだ。水都が剣をかいくぐって顔を上げる。
「祥一郎さん!!」
 怖い。
 どうして。どうしてこんなことに。
「……大丈夫」
 くぐもった声で祥一郎が答えた。ここからは見えなかったが、ギリギリで避けられたらしい。
 ホッとしたら、目の前がぶわと涙で滲んだ。
「良かっ……」
 舞は膝で這って行って、祥一郎を拾い上げた。彼は降ろせとわめいたけれど、無視して胸のポケットに入れてしまう。この小さくて大切な人を、絶対に失いたくない。
「水都!!」
 冴えきった無表情で、鏡の水都が剣を振り降ろす。水都はその場を動けない。
 芳真が彼女を引き寄せるより早く、水都の白い手が、無造作に白刃を受け止めた。袖を染め変えてゆく血の流れを、舞は息を呑んで見つめるしかできなかった。
「もう……もうっ、やめてよ……っ!!」
 どうすればいいの。
 どこへ逃げればいいの。
 この身を流れる美しく赤い血、この身の内を震わせる太古のリズム。ここに確かにあるもの、この温もりをどうして、どうして奪おうとするのか。どうして──捨てたいなんて。
この鏡の間は閉ざされた迷路、どこにも隠れられる場所はない。迫ってくる自分から、逃れる方法なんてないの。
 芳真が贋水都の足を払って体勢を崩させる。その一瞬の隙に、もう一人の芳真が本物にのしかかった。剣を振り上げる。胸に残る横一文字の傷が、今も燃えているように見える。
 舞は夢中で体当たりを食らわせた。贋芳真と一緒に転がったところを攻めてくる自分に、スニーカーの片方を脱いでぶつけてやる。
「来ないで!!」
 舞の左目から、一筋、涙が滑り落ちた。贋舞が一瞬、動きを止める。
 頭の右半分がジンジンする。そういえば先刻、大きい祥一郎さんにぶたれたんだった。生まれて初めて、男の人に殴られちゃった。
 舞は水都の背中に自分の背中を合わせた。
「水都さん、大丈夫ですか!?」
「ああ」
 水都は自分自身を突き放すように、剣から手を離した。血が宙に飛び散った。
「まだ平……」
 平気だ、と言おうとした水都の声が途切れて、振り向いて舞は見た。その血が、鴉に姿を変えるのを。血の色の瞳を。
 そして。
 鴉が天井付近を旋回した。何かを呼び出すように。
 何を。
「──!!」
 ドラゴンを。
 夕焼けの彼方からドラゴンが来る。恐ろしい眼光、コウモリの翼を広げて、鋭い鉤爪を尖らせて。この地獄から、さらなる地獄への水先案内人が。
 吠えた。
 部屋を覆っていた鏡が、床を残して一斉に割れた。破片が降り注いで、舞は鋭い悲鳴を上げた。身体中に細かい痛み。芳真は頭を庇って伏せる。舞が伏せた拍子にポケットから祥一郎が転がり出たが、舞は気づかなかった。舞の上に、悲鳴を押さえ込むように、守るように何かが被さった。
「アクセル!!」
 水都が鋭く呼ぶ。
 割れた鏡の先にいたのは、舞たちをこんな目に会わせた張本人だ。崩れた壁の向こうで、驚いて立ち尽くしている。正面にドラゴン。
 鏡の中から現れるのは、もう一人の自分。
 ドラゴンの相手は舞たちではなかったのだ。
「やっ……」
 舞は顔を上げて、自分を破片から庇ってくれている誰かの肩ごしに見た。
「アクセル……!!」
 水都が、初めて聞く切羽詰まった声で、もう一度アクセルを呼ぶ。
 鴉が止めようとするかのように彼女の袖を引いたが、水都は止まらなかった。
 先刻自分を斬った剣を鏡の自分からもぎ取ると、片方の足でドラゴンを追う。固まっているアクセルにドラゴンが爪を振り下ろし、水都が剣を振り上げた。爪がアクセルの胸を裂くのと、水都の剣が背を貫くのは同時だった。
 絶叫。
 水都が剣を引き抜いたところから、閃光が溢れた。フラッシュに目を焼かれ、細めた、舞の視界に、ドラゴンが尻尾を震わせて身を捩るのが見える。
「水都さ……!!」
 尻尾で引っぱたかれそうになった水都の前に身を投げ出したのは、同じく凛とした瞳の鏡像だった。華奢な体が瓦礫に叩きつけられ、動かなくなる。息を飲んで舞は……やっと今まで自分を庇ってくれていた、誰かを見た。
そこにあったのは。
「……どうして……」
 自分の顔だった。
 血に塗れて、少しだけ笑っている。これが七番目の顔か。
 あたしの、死に顔。
「嫌だ。どうして」
 舞が泣くのがおかしいのか、舞はますます笑って、ずるずると床に崩れる。舞は焦って抱き起こした。
『あたしは、あたし。あたしはここにいる』
 あたしは。
 ここにいる。
「やだ」
 芳真を守ったのも、祥一郎を手のひらで包み込んだのも、それぞれもう一人の自分だった。
 そうだ。判りきってることなのに。
 自分を守れるのは、自分だけだった。
「……逝かないで」
 舞は笑って、舞の頬に触れた。柔らかい指先が涙を拭う。自分がこんな、慈しむような笑い方ができることも、今この瞬間まで知らなかった。
『サヨナラ』
「!」
 消えた。もう一人の自分たちとドラゴンは、跡形もなく。
「舞……」
 慰めるように、祥一郎が彼女の膝に手を置いた。一羽だけ残った鴉が肩に止まって、顔を覗き込む。
「えへ」
 ごまかすように瞬きしたら、ポタンと涙が落ちて、鴉のくちばしを伝い、祥一郎にかかった。
 と。
「しょ……っ!!」
「おっ、おわっ」
 みるみるうちに巨大化する。祥一郎が小人から、元の大男に。
 驚いた鴉が飛び上がり、舞も身をのけ反らせつつ目を見開いた。コロンと転がり落ちた雫に、芳真の金髪が反射する。祥一郎の変身に呆然としていた芳真が、何を見たのか、ハッとして指さした。輝く瓦礫の向こう、塔の外を。
 まっすぐ伸びる光の道。
 そしてその先の、黄金の扉を。
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by new-chao | 2005-08-10 19:15 | 小説-黄金のドア(完)

黄金のドア

            ◇    ◇    ◇

「……水都」
 立ち上がれない勇敢な戦士の前に、アクセルが膝を着いた。斬られたシャツ、その胸に残る傷痕を、隠そうともせずに。
「何故俺を救った」
「好きだから」
 水都は傷ついた手を心臓より上になるようにしながら、いたずらっぽく笑った。
「って言って欲しい?」
 アクセルは苦笑する。水都は口許で笑ったまま、廊下に現れたクールに冷やかな目を向けた。
「こうなるって知ってて、どうしてアクセルを遠ざけなかった?」
「鏡の間の外にいた人間の分身がが出現したことは、かつてなかったので」
「もし死んだりしたら、どうするつもりだったんだ」
 クールはフードの下からアクセルを見た。
「アクセル様は、ドラゴンの加護を受けられる方。とばっちりを受けさせて、あなた方には申し訳なかったが」
 だから大丈夫だとでも言うつもりか。
 完全に壊れた鏡の間を見回して、祥一郎と芳真が顔を見合わせる。よく言うぜ、と言いたいらしい。
「アクセル様、お部屋へどうぞ。怪我の手当てをなさいませ」
「だが」
「行ってくれ、大事な体だ」
 水都はアクセルに向かってそう言うと、いいよな? と舞たち三人を振り向いた。芳真が何か言おうとするのを、舞が腕を掴んで制した。不満そうに睨まれはしたが、もう手を叩き落とされはしなかった。
「私たちは帰ります。あのドアから」
「そうか。……またいつか会えるか」
 光に透ける、アクセルの美しい青の瞳。
 哀しそうに陰ったように見えて、水都はまた微笑した。ごく自然に、二人の唇が重なった。わっ、と舞は赤面してしまったが、この夕焼けでバレていないだろう。
「会えるだろう、私が元気で、あなたが元気でお互いに生きていれば、またいつか」
「そうだな。──その時までに、髪を伸ばしておいてくれ」
 潔く、元ドアである残骸から、振り返りもせずアクセルは去った。後ろ姿まで完璧に恰好いい、と感心した舞は、その後に続こうとするクールを呼び止めた。
「クールさん。……あの火傷の跡、魔法でどうにかできないんですか?」
 アクセルが、ここの総統を襲った真犯人だったことは、火を見るよりも明らかだ。クールは知っていたのだろう。そしておそらく、水都も。
「目眩ましの術なら」
「じゃ、それやって下さいね」
「ああ」
 クールはぱさりとフードを取って、どこか得意そうに顔をした。
「血がつながってると術のかかりがいい」
「へえ……」
 舞は漫然と返事をしたが、水都はハッとしてクールを見た。年齢不詳の魔法使いは微かに頷いてみせた。
「では、お気を付けて」
 ふわりと踊るように、クールが黄金のドアを指し示す。一瞬ドアに目をやって見直した時には、クールの長身は幻のように掻き消えていた。


  10.waiting for dawn & you


 ところどころ残って、辛うじて天井を支えている壁の向こうに、一直線に伸びる道がある。光に包まれているのは夕日の方向を目指しているからか、それとも不思議な力で、道そのものが光っているからか。
「なんで、あっさり行かせちまうんだよ。あいつのせいで、俺たちこんな目に会わされたんだぜ。俺は犯人扱いされるし」
 それでも良かったんじゃないの、と言うのは心の中だけにしておいて、舞はちらっと水都と視線を交わした。彼女も同じことを思った顔をしていた。
「いいじゃないの、アクセルもいろいろあるんじゃないの? あたしたちみんな戻れるんだから、いいってことにしとこう」
「あー、嫌だね女って、顔のいい相手には甘くってさ。水都もここで、本当に嫁さんになりたいんなら、残ってもいいぜ?」
 甘いんじゃない。あのハンサムで、偉くて、何一つ不自由していなさそうなアクセルにも、自分自身を殺してしまいたいと思うようなことがあるのだと──あたしたちと同じなんだって、判ったから。あたしだけじゃなくて、芳真君だけでもなくて、きっとみんなそう。
 だからきっと、みんな許しあえる。
 水都は黙ったまま、斬られていない方の手を差し出した。芳真は嫌そうに顔を顰めたまま、それでも彼女の手を取って立たせた。
「舞」
 不意に横から大きな手が、舞の頭をさすった。
「殴ったりして、ごめんな」
「そんな……あれは」
 固くて強い手。叩くだけじゃなくて、優しく撫でることもできるもの。
 あれは祥一郎さんじゃなかった、なんてことは言えないけれど。でも彼のせいじゃないのも判ってる。
「……祥一郎さんを小さくしちゃったのは、あたしだし。貸し借りなしってことで、どうですか?」
 だが祥一郎がまだ何か言いたそうにするので、舞はふと思いついたことを言ってみた。本当は少し、下心もあったが。
「じゃ、近いうちに何か、美味しいもの奢って下さい。ね? 元の世界でも、せっかく近所に住んでるんだから」
 祥一郎の鋭い目が、笑いの形に柔らかくなった。
「いいよ」
 すぐ目の前にある手を、舞が掴んでみちゃおうかな、と思った時、彼はさっと身を引いて水都に近づいた。
「水都、おんぶしてやる。足折れてるんじゃ、歩けないだろう」
「え? いいよ、歩ける」
「いいから。帰るんだろう、もたもたすんな」
 ちぇっ。祥一郎さんはあたしにだけじゃなくて、みんなに優しいんだわ。
 芳真と目が合ってしまった。彼女の思いを見透かしたみたいに、ニヤ、と笑うので、舞は顔を背ける。
「ま、顔じゃ敵わないから。色気で迫れ」
「アドバイスをどうも」
 礼代わりに、落ちていた彼のTシャツの切れ端を拾って、肩の血を拭いてやる。わざと、ちょっと乱暴に。
「ってて、優しくやれよなあ」
「そっちの、火傷はまだ痛いの?」
「これはもう痛くねーよ。消えないだけ」
「そっか」
 消えなくても、痛みがなくなれば忘れていられる日もあるだろう。
 いつか彼も、その胸の傷の秘密を話してくれる時が来るだろうか。自分自身のことを、心の奥の真実を。
 いつかあたしたち、友達に。
「さ、行くぞ」
 祥一郎が軽々と水都をおぶって歩きだす。舞と芳真も並んでその後を歩きだした。城の裏庭を裂いて続く、何故か暖かく感じられる道を。
 あ、思い出した。
 ヒント、だ。こうなるってあたし、ちゃんと初めに聞いたんだった。でももう、その通りになったんだから、いっか。
「ね、芳真君ってどこに住んでるの? あたし津栗花って市で、祥一郎さんも近くに住んでるんだって。知ってる?」
「なに、おまえ津栗花にいるの? 俺の高校、津栗花にあるんだけど。琴北って」
「知ってる! 山の上にある、きれいな学校だよね? 結構偏差値高いんじゃなかったっけ?」
 舞の家から、自転車で行ける範囲にある、県内有数の進学校だ。学校が市内なら、芳真の家もそう遠くではないということだろう。
「さあ、そうでもないんじゃねーの、俺が受かったぐらいだから。近いんならおまえ、うち受ければ? 今年受験なんだろ。んで俺の部のマネージャーになれよ」
「何の部活よ」
「囲碁」
「え?」
「嘘、バレーボール」
「部活やってるんだ?」
 何だか意外だ。そういう熱血っぽいことは嫌いそうなタイプなのに。
 芳真は髪を掻き上げて、伸びをした。
「これからやるんだよ」
 胸を張って、夕焼けを跳ね返して。
「そっか」
 舞は眩しくて目を細める。
「頑張って」
「おう」
 あたしも何かやってみよう。勉強でも、部活でも、何でもいいから。とりあえず、隣の席の子に話しかけてみようかな。無視されても、めげないで。
 遠くに見えていたドアが、もうすぐ目の前にある。太陽のせいではなく、ドアそのものが輝いているようだ。
 この扉の向こうは黄金の日々、そういう意味なのかな? そうならいいのに。
 本当にそうなら。
《大丈夫だよ》
 なんだか今、お姉ちゃんの声が聞こえたよ
うな気がした。
「開けるぞ、舞と芳真も一緒に押せよ」
「うん」
 ほんのりと暖かいドアの表面に手を当てて、四人は顔を見合わせた。自分たちはきっと、一人ではこのドアに辿り着けなかっただろうから。
 大切な、人。たった半日しか一緒にいなくても。好きになるのに、一緒にいた時間の長さなんて関係ない。
 一緒にって言えば、そう言えばかしげはどこに行ったんだろう?
 だがそう言うより先に、舞はぐっとドアを押す手に力を込めていた。
 ドアが開いた。
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by new-chao | 2005-08-10 19:13 | 小説-黄金のドア(完)

黄金のドア

              ◇    ◇    ◇

「どこに行ってたのよっ!!」
 ドアを開けた途端怒鳴られて、舞は腰を抜かしそうになった。ここはどこだ。
「ま、……ママ?」
「ママ、じゃないわよ、朝っぱらから黙って出掛けたりして、変な奴にさらわれたかと思うじゃないの、心配するじゃないの!!」
 祖父の家の玄関だ。あの黄金の扉は、舞のうちの玄関だったらしい。
「無事だったならいいじゃないか。舞もさあ、うちに上がれ」
 奥から祖父が、なぜかテレビのリモコンを持ったまま出てきた。いつもいかつい顔をしているのに、な、……泣いてる?
「良くないわよ、舞、子供はねえっ、親を安心させるのが仕事なんだからねっ!! 大人になるまではママの側にいなくちゃ駄目なの!!」
「ご、……ごめんなさい」
 ママも、泣いてたの? 泣いてるの?
 あたしのこと、心配して?
「ちょっと散歩しようと思ったら、迷っちゃって……ごめんなさい」
「もう……」
 舞が素直に謝ったからか、母は言葉にならないことを口の中でブツブツ言って、手で顔を拭った。
「顔洗ってらっしゃい、何かついてるから。嫌だ、転んだの? 膝、擦りむいてるじゃない」
「うん、大丈夫。着替えてくる」
「早くしてね、すぐごはんだから」
「はーい」
 舞は靴を脱いで、二階の自分の部屋へ行った。カーテンを開けて、朝日を一杯に部屋に入れる。目覚ましの知らせる時刻は七時半、まだ学校にも充分間に合う。
 祥一郎たちも自分の居場所へ帰ったのだろうか。あれは夢だったのか。
 そんな筈ない。
 だってあたし、覚えてるもん。祥一郎さんの暖かい手、水都さんの優しい声、芳真君の可愛い目。きっとまた会えるもん。
 そうよ、電話帳で調べて、片っ端から高橋さんちに掛けてみればいい。どっかで祥一郎さんの家に当たるわ。水都さんは判んないけど、池崎さんなんてちょっと変わった名字だもん、見つかると思う。芳真君は……しまった、名字聞いてない、けど……そうよ! 学校が判ってるんだもん、校門で張ってればいいのよ、絶対捕まえる!
 もしあれが夢だったとしても。
 あたしはもう、判ってる。大丈夫だってこと。あたしを待ってる人が、いてくれること。
 ──ママが、あたしを心配してくれること。
 舞は校則のことはすっかり忘れて、ポニーテールにしようと髪を梳かしながら、何気なく窓の外を見た。息が止まった。
 信じられない。
 目が合って、舞は固まってしまった。


 自分でそっと押し開けたつもりだったのに、ドアを開けたのは自分の手ではなかった。救急隊員の手だ。
 彼らは静かにやっているつもりなのかもしれないが、ストレッチャーに乗せられている水都にとっては乱暴な勢いだ。救急車の後部ドアから乗せられる振動がガンガン直接足に響いて、うめき声を上げずにはいられない。
 子供じゃないんだから、痛い痛いと大騒ぎなんかしたくないのだが。
 痛いものは痛い。
 そ、そっとやって、と思わず言いそうになった水都の手を、誰かが掴んだ。無意識に目を閉じていた彼女は目を開けて相手を見た。
「ごめんね、水都」
 母親だった。十六年近い時間を、自分の母の振りをすることに費やしてくれた、女。
「お父さん、転勤になるんだって。来週」
「……え……」
「最低でも三年だって言うから、お母さんは三人で一緒に行こうって言うつもりだったの、でも……」
 泣かないで。
 水都は力の入らない手で母の手を握り返して、うめき声の隙間からどうにか言葉を押し出した。
「心配、しないで」
 私はもう、子供じゃないから。一人でも大丈夫。
 一人になりたい。
「二人で、行っていいよ」
「ごめんね、水都、許して。止められなかっ
た母さんを許して……」
 許すとは、今はまだ言えないけれど。足が痛くて、何も考えられないけれど。
 いつか、ね。
 いつか忘れる時が来るかもしれない。
 そしたら許せるかも。許したふりが、できるかも。
 水都は母から手を離して、目を閉じる。軽く唇に触ってみる。一瞬の温もりを思い出したら、痛みが薄らいだ。
 ああ、誰かが注射を打ってる。麻酔でも注射してくれたのかな。それともクールが魔法を。
 水都は少し笑った。そして今度こそ、本当の、夢を見る。


「な、……何だ、脅かすなよ」
 ドアを開けると、外に自分と同じ顔があった。祥一郎はびっくりして一歩後ずさった。
「ごめん、今、ちょっといいか」
 ドアは自分の部屋のドアだった。もう光ってない、いつもどおりの、焦げ茶色の木のドアだ。
「あ、ああ、いいけど」
 身長も体重もほとんど変わらない大男が、のっそりと部屋に入り、ちょっと迷ってからベッドを背もたれにして床に座った。
 秀一郎が自分の部屋に来るなんて、何ヵ月振りだろう。ひょっとすると、何年振り、
か?
「祥、おまえ本当に親父の会社継ぐ気、あるか」
「は?」
 時計を見ると、夜中の三時だ。どうしてこんな時間に兄は、わざわざ弟を訪ねてきたりするのだろう。もう寝てるのに決まってる時間に、起きてると知っていたみたいに。
 自分も、眠れなかったみたいに。
「何だよ、急に」
「確かめたくなったんだ、おまえ、本当にそれでいいのか」
「何言ってんだ、ずっとそういうつもりでやってきただろう、俺たちは」
「俺は違う」
「え」
 それまで馬鹿みたいにドアのところに突っ立っていた祥一郎は、ハッとしてドアの外を見た。そこに伸びているのは見慣れた実家の廊下、あの夢のような城はある筈もない。
「ドア閉めてこっち来いよ、真面目な話してるんだから」
 他人にはまず見分けのつけられない、自分と同じ顔が祥一郎を見上げている。
「祥一郎、俺は自分の会社を持とうと思ってるんだ」
 祥一郎はまじまじと兄の顔を見た。まるで初めて秀一郎の顔を見たかのように。
「自分のって言っても、大学の仲間と共同のだけど。誘われてるんだ」
 まるで初めて、自分の顔を見たかのように。
「そう……なんだ」
「ああ。俺はやってみたいんだ、自分の力で、自分がどこまでやれるのか知りたい。俺が、何ができるのか」
 俺とおまえとは、違うんだということを、確かめたい。
 口に出してそう言われた訳ではないが、祥一郎にはそう聞こえた気がした。
 気のせいじゃないだろう、俺たちは双子だ、きっと同じことを考えてる。俺たちはそっくりで、まるで同じで、だからこそ違う人間なんだ。
「そっか」
 だからこそ、今、ここで向かい合ってるんだ。
「判った」
「俺はもうじき出てくけど、後、頼むな」
「判った」
 二人の手が同時に差し出されて、兄弟は同時に笑った。握りあって感じる体温も、きっと同じで、でも違うリズムを刻んでいる。
「もし俺にできることがあったら、言えよ、すぐ飛んでくから」
「ああ、頼りにしてる」
「んで、どういう会社作る気なんだ?」
 言いながら、祥一郎は頭の裏側でちらりと思った。
 秀一郎が出てったら部屋が空くな、そしたら芳真を居候させてやれるかも、と。


 おじーちゃん家の、……あたしの家の裏にある田んぼの、畦道に、犬がいる。茶色で、鼻の回りだけ煙突掃除したみたいに、真っ黒の。
「かしげっ!?」
 わん!!
 犬が答えた。舞はブラシを放り出して階段を駆け降りた。母が何か言ったけれど、そんなの後回しだ。
「かっ、かしげ! おまえ……」
 かしげが嬉しそうに駆け寄ってくる。舞は靴下のまま外へ飛び出した。ドアが乱暴に閉まった。
 似てるんじゃない、この犬はかしげだ。
「あたしを追いかけて来たの?」
 かしげもあたしと同じ、死んじゃえばいいと思うことがあってあの国にいたの? そしてあたしに会ったの?
 あたしに会うために。
「かしげ」
 尻尾どころか全身をくねくね振って、かしげが舞の顔を舐める。くすぐったくて、舞は笑った。犬はますます舐める。
「一緒に暮らそうか」
 舞の胸に前足を突っ張って、かしげは首を傾げる。
「うち、意地悪な男いないし、庭広いし。大丈夫よ」
 舞が顔を近づけると、かしげは小さく舌を出して、彼女の鼻をペロッと舐めた。
 アクセルと水都さんのラブシーンとは大分ムードが違うけど、ま、いっか。
「行こ」
 かしげを抱っこして、舞は立ち上がる。母は犬好きだったろうか? そんなことも、今まで知らずに来たけれど。
 でも先刻喋ったし。
 かしげ可愛いし。
 かしげがここにいる。あたしもここにいる。ここで生きてる。
 あたしはここで、生きてる。
 大丈夫。
 胸の内で呪文を繰り返して、舞はドアを開けた。ごく普通の、どこにでもある玄関のドアを。
 舞の黄金のドアを。



                                    fine
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by new-chao | 2005-08-10 19:11 | 小説-黄金のドア(完)