カテゴリ:小説-黄金のドア(4)( 4 )

黄金のドア

              ◇    ◇    ◇

「おーい! おっさん! クール!!」
 張り上げた声が虚しく石の天井に響いて、
芳真はそれが自分の悲鳴のように聞こえて苛々した。自分としては単に、普通に呼びかけたつもりだが、必死に呼んだみたいに思われたら、みっともない。
 地下にいるのだから、太陽の位置など判る筈はないが、それに一人きりだからなおさらなのかもしれないが、ここに入れられてからずいぶん時間が経ったような気がする。
 天井の近くにろうそくが立てられているので、辛うじて内部は明るいが、ここからだと、あとどのくらいその蝋が持ちそうかまでは見えない。一人ぼっちなのが淋しい訳ではないのだ。地下牢で真っ暗闇になるかもしれないのが、嫌なだけなのだ。
 別に怖くはねーけど。
 でもここ、何か、ネズミかゴキブリが出そうで、それが気持ち悪いだけで。
 ……何だかおかしな話だ。
 伸び過ぎて目に刺さる前髪を掻き上げて、芳真は壁に背中を押し当てて座りなおす。片足を折って胸に抱え込むようにして、膝に顎を乗せて、いつものポーズ。
 どうして誰もいないんだろう。
 俺は違うけど、もし、ここの偉いサンとやらの寝首を掻こうとした犯人を捕まえたんなら、普通、取り調べとかするんじゃねーのか。今、そういう役人がいないとか、何か別の用があるとしても、取り敢えず俺の身元とか訊くだろ、普通。
 なのに、誰も来ない。見張りもいない。あの、ロン毛の『王子様』、俺のことチラッと見にくる気配もない。その上、あのオトコオンナ、水都を「妻にするつもり」だって?
 なんだそりゃ。
 王子様が誰を嫁にしようが俺にはどーでもいいけど、あの女だぜ。犯人の、俺と、一緒にいた女。
 まあ俺も、あの女と会ったのは今日が初めてだし、今日で最後だろうし、だから全然知らないし関係ねーけど。
 思いついて、曲げていた足を伸ばして、芳真は皮ジャンのポケットを探った。ひらっと軽い頼りない反応に、ジーンズの尻ポケットも触ってみるが、同じくぺしゃんこだ。
 げ、入ってないのか。
 ないと判ったら余計にタバコが吸いたくなってきた。
 水都のことなんて何も知らない。
 ここがどこか。どうして自分がこんなところに入れられて、このままだと多分明日には……処刑されることになってしまったのか、なんて。知るか。
 ただ、死んじまえばいいと思っただけだ。
 あいつも。俺も。
 生きてる価値なんてない。死んで、少しでも二酸化炭素の発生を減らす方が、よっぽど他人の役に立つだろう。
 そうだろう。
 生きてる価値なんか。
 おまえらにはないだろう。
「俺にもな」
 言う、と思うより早く、独り言が口を突いて出ていた。芳真は苦笑した。
 未練がましくポケットを引っ繰り返しても、ないタバコが出てくる訳はない。芳真は諦めて、壁にもたれると両足を投げ出した。
 きっかけは、些細なことだった。よくある誤解。
 芳真が十歳の時、彼の家の近所にあるスーパーで、万引きがあったのだ。その話をPTA総会だが保護者面談かで聞いた彼の父は、彼が犯人か、そうでなくても犯人グループの一員であると、思い込んだ。
 確かに芳真は、可愛い顔をしていてスポーツが得意で、だから人気者で、子供とはいえよくモテた。早熟で、やることが派手で、子供仲間の中では親分肌で、人より先にスリリングな悪い遊びをしそうな少年だったのは本当だ。
 でも万引きはしていない。
 でも父はそれを信じない。
 ──違うんだ。判ってた。俺はあいつの本当の目的を知ってた。あいつはそのチャンスが来るのを待ってたんだ。
 俺を公然と殴るチャンスを。
 それでなくても時々は、母さんが買い物か何かで留守の時、偶然みたいに俺の足を踏んだり、テレビのリモコンぶっつけたりはしてた。でもそれだけじゃ足りなかった。足りなくなってきたんだろう。
 もっとちゃんと、コソコソしないで堂々と思っきり、俺をぶちのめしたかったんだ。その理由を付けるのに、万引き騒動は絶好のネタだった。
 ここで言う父は、芳真の実の父ではない。彼の実父は幼い時に亡くなり、この父は母の再婚相手で、彼は母の連れ子だった。父は初婚で、特に子供好きではなく、芳真は大人に対して愛想のいい子ではなかったので──芳真は邪魔、だった。
 そしてこの年、芳真に妹ができたのだ。紛れもなく、今の両親の子供だ。芳真の存在は父にとってますます鬱陶しく、腹立たしいものになったのだろう。
 この胸の傷は。
 妹を産んだ母がまだ入院している間に、付けられたものだ。
 寒い日だった。居間には長方形の石油ストーブが点けてあった。芳真は父に頼んだ。赤ちゃんに会いたいと。ぼくの、妹に。
『おまえの』
 くわえていたタバコがすっ飛んだのにも気づかず、父は恐ろしい顔で芳真を睨んだ。
『おまえの妹じゃない、俺の娘だ』
 父の手が乱暴に芳真の襟元を締め上げ、トレーナーの腹をめくった。あれが五年たった今なら、あの親父に抵抗することもできるだろうが、まだ自分は小さくて、弱くて、父の力には全然敵わなかった。
『俺の娘にひどいことしやがったら』
 殺される。
 母さん、いつかきっと、ぼくは。こいつに。
『どうなるか教えてやる』
 子供の小さな体を押さえつけて、父は芳真の薄い胸を、焼けたストーブの上に貼ってある天板に、押しつけた。一番長い辺が斜めに、芳真を焼いた。
『会わせてなんかやるか』
 もがいた拍子にストーブに手を着いた。手のひらが焼けた。振り回した足がストーブを蹴倒して、絨毯を焦がした。火災を期待したが、芳真を放り出した父が座布団で火を消して、それだけだった。
 母は気がつかず、芳真がふざけすぎて転びストーブの上に倒れたという父の言葉を、真に受けた。
 だが今となっては気づいているだろう。ことあるごとに、もう手加減なしに、不良息子を更生させると称して、父が芳真を殴り、物をぶつけ、火の点いたタバコを押しつけるのを母も目の当たりにしていたから、あれが事故などではなかったことに。気づいていると思いたい。
 俺も。おまえも。
 知ってても何もできない母さんも。
 同じロクデナシ。誰も何も、変えることができないんだから。
 やっていない悪事を責められると、俺は翌日その悪事をやった。不良と罵られる度、俺はどんどん悪くなった。やってもやらなくてもやったことになるなら、やった方がいいと思った。
 水泳の授業なんか大っ嫌いだ。臨海学校も、修学旅行も、全部行きたくなかった。だからよくさぼった。
 抵抗すると母さんが泣く。俺は親父と対等になっちまった。もうやり返せるぐらい強くなっちまった。殺せるぐらい大人になっちまった。
『いつどこで、どのように作った傷か言ってみろ』?
 王子様、そりゃ言えねえよ。
 言える訳ねーよ。
 言えねーんだよ、俺は。ロクデナシだ。死んじまった方がいい。
 部屋で首吊んのも、ここでよく判んねえ犯人に間違われて処刑されるのも、別にどっちでもいい。
 どっちでもいい。俺は地獄で、あいつを焼いてやる。あいつが俺の胸を、俺の家庭ってやつを、平凡で幸せな日々を、焼き尽くしたように。
 暗いな、俺も。
 芳真は背中をずらして、土の床に寝ころんだ。死ぬのは構わないが、処刑の方法はなるべくズバッと一瞬で、苦しまずに済むようなのがいい、と思いついて、また笑った。
少しだけ。
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by new-chao | 2005-05-19 14:21 | 小説-黄金のドア(4)

黄金のドア

 水都がクールに案内された部屋は、一階の南側にある、小さな客間だった。外壁のアクセントに使われているのと同じ、アイボリーで塗られている、柔らかい感じの部屋だ。
 水色の小さなスズラン風の花が散らばって描かれた内壁。ランプには同じ花を形取った、すりガラスの笠が被せてある。
 ベッドは天井から床まで届くレースの天蓋付きクイーンサイズで、自分がもっと子供だったら、吸血鬼に狙われる美女ごっこでもしたくなるような代物だ。白木の、小さいが立派なドレッサーと、同じ材質のテーブルセット。
 彼の花嫁候補はいつもここに通されるのか、他が一杯でここだけが空いていたのか。
 優しくていい部屋だが、テーブルの上にある花瓶は空だ。窓は中庭に面して一つ、小さいが格子はないので、ここに軟禁するつもりではなさそうだ。
 水都はコートを脱いでベッドの上に放りやって、イスの背もたれを前にしてまたがるように座って、その小さな窓から外を眺めていた。
 一度、侍女が夕食に誘いにきたが、彼女は断った。腹は減っていない。それに、そんなことはないと思うが、料理に一服盛られると困る。
 アクセルが本当はどういうつもりで自分をここへ連れてきたのか、彼の本心に、実を言うと水都はまるで興味がない。何だか映画のセットの中にいるみたいな、まるでファンタジーのこの国のことも、どうでもよかった。
 自分はここの住人ではないし、芳真たち三人もそうだろう。四人でいれば、どうやってかは判らないが、元のところへ戻れるのだ。
 戻りたいかどうかはともかく、戻らなければならない。
 自分一人なら、城を抜け出すことぐらいできるだろう。だが舞と祥一郎の居場所は判らないし、芳真は檻の中だ。自分だけ逃げても仕方ない。
 芳真を逃がすには……やっぱりクールを言いくるめるか、アクセルを説得しないと。
 爽やかな風が、水都の前髪を揺らす。水の匂いがするのは噴水のせいだろう。
 こういう時。
 キャーキャーどーしよどーしよ? って言える性格なら、もう少し可愛げがあるんだがな。
 水都は冷静に分析して、目を伏せた。
 辛かったり苦しかったり淋しかったり……そういう気持ちを他人に見破られないよう、お姫様ごっこの好きな子供の頃から無表情を心掛けていた。それが祟ったのだろう、今では嬉しくても楽しくても、全く顔に出せなくなってしまった。
 悪い癖だ。
 いつも必要以上のポーカーフェイス、うっかりすると毒舌気味の冷静な発言になってしまう。
 板に付いた鉄面皮、その上女らしい言動をわざと避けているのだから、冷たい人間と思われてしまうのは自業自得だが。
 中庭を囲む木々が風に揺れるのを、水都は目を細めて眺める。こんな風に、何にもしないでぼんやりする時間はしばらくなかったな、と思いながら。
 まるでおとぎの国だ。ハンサムな剣士の総統に、ローブを着た魔法使い、角のあるドラゴン。
 陽気な音楽が風に乗って、切れ切れに届く。
 私はここで何してるんだ。
 もう、生きていたくないと……あの時、捨てる前に殺しておいて欲しかったと、思ったこの私が。
 ふと気づけばファンタジーの世界で花嫁候補、とは。
 ──どうしてあいつ、すぐ私を女だと見破ったんだろう? 舞ちゃんたちはまるで気がつかなかったのに。
 女じゃないふりをし始めてから、初対面で見抜いた人はいなかったのに。
「待たせたな」
 不意に扉が開いて、アクセルが声と同時に中に入ってきた。ノックはなかった。
 水都は振り向きもせず、庭を眺めたまま言った。
「いきなり入ってくるのがここのやり方なのか?」
「いや」
 カチャ、と丁寧にアクセルがドアを閉める。
「俺のやり方だ。食事に来なかったな、ヨシマが心配で喉を通らないか?」
 水都の背後から顔の方へ、アクセルがずいと伸ばした手には、黄と白とオレンジの小さな花束が握られている。花束とはいえ、束ねられてはいない。
 水都はいったん立ち上がって、背もたれを背に座りなおした。
「何しに来た?」
「女はみんな、花をもらうと喜ぶんじゃないのか?」
「喜ぶさ。私は顔に出ない性質なんだ」
「なら受け取れ」
 顔の前に突きつけられて、水都は素直に受け取った。庭の花壇に生えているのを適当に摘んできたような、素朴な花が六・七輪。
「で? 次は指輪か?」
 花を鼻先に当てて見上げてると、アクセルは一瞬置いてニヤリと笑った。
「おまえは面白いな」
「つまらない女が好みか?」
「好みなどない、処女なら誰でもいい」
 アクセルはどういう返事を期待したのか。
 水都は黙ったままゆっくり微笑した。
 バンドの音が止まっている。
 アクセルはそっと水都の手から花を取ると、テーブルの上にあった空の花瓶に差した。口が広すぎたので花はまとまらず、バラバラになってしまう。
 それを見て、アクセルが苦笑した。何を考えたか判ったような気がしたが、水都はまだ黙っていた。
 風が、アクセルのウェーブした髪をなびかせる。濃い青のシャツがよく似合う、綺麗な顔だ。彫刻みたいだ。でも血が通っている。
 アクセルが指先で、爪の方が触れるようにして、水都の頬をたどった。
「クールがな」
 彼女の前髪を掻き上げて、額から鼻筋に中指の腹を滑らせる。
「俺とおまえの子なら、天の星も恥じらう美少年になるだろうと」
「私が」
 水都はアクセルの手を払いのけると、イスを後ろに倒して立ち上がった。イスの脚に蹴られる前に、素早くアクセルが飛びのく。
「あんたの子を産んでやると言ったか?」
「俺は訊いたか? 俺の子を産んでくれるか、と」
 アクセルが鷹揚に腕を組む。水都は真似して腕を組むと、わざとらしく溜め息をついて見せた。
「俺がここへ何しに来たか、大体判っただろう?」
「大体のところはね」
 気取った仕種でベッドを指し示すアクセルを無視して、イスをまたいだ仁王立ちの水都は彼を睨んだ。
「なら、あれはどういう意味なんだ、私とあんたが同じ匂いがするっていうのは。私はあんたの種蒔きに付き合えるほど暇じゃないし、室内農作業も好きじゃないんだ」
「やってみたら好きになるかもしれないぞ」
「どうして私が、やってみたことがないって言えるんだ?」
 アクセルが水都の腕を掴むより一秒早く、水都は倒したイスを蹴って後ろに下がった。アクセルはベッドの上に後転してかわし、床を滑ったイスがベッドの支柱にぶつかって派手な音を立てた。
「あ」
 水都は組んでいた腕を解いて、ポンと手を打ち合わせた。
「同じ匂いって、そういう意味か」
「ああ」
 ベッドの向こうに立ち上がって髪を払うと、アクセルは口許だけ笑って、ギラリと鋭い目つきで水都を見た。
「俺たちは二人とも、一筋縄じゃ行かないところも、そうだな。──脱げ」
「あんたが先だ」
 返した言葉は毅然としているが、内心、水都は焦っていた。
 ここから逃げることは多分できるだろうが、それだけではどうしようもないのは判りきっている。この分だと、アクセルを説得して芳真を出させるのは無理のようだし、かと言ってここで後継ぎ製作作業に加わってやる義理もない。
 どう、するか。
 それでも未練たらしくドアの方へ移動しかけていた彼女は、アクセルが素直にシャツのボタンを外しだしたのに驚き、──その中に見えたものに更に驚いて、足を止めてしまった。
 見えたもの。白い。
 アクセルが顔を上げた。
 ゆっくり……水都を、見た。
「見た?」
「ああ」
 水都は自分でも気づかないうちに唾を飲み込んでいた。
 白い。
 包帯。アクセルの胸に。
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by new-chao | 2005-05-19 14:18 | 小説-黄金のドア(4)

黄金のドア

  6. ナゾナゾのち色仕掛け


『身に余るほどの遙か天空を駆け、他者の命の源泉を糧とする罪深き生物を、我に捧げよ』
『されば、この森を通さん』


 こう言ったきり、じーっと黙って、身じろぎもせずに番人は自分と舞を見張っている。見張っているとは言え、どこが目かは判らないが。
 俺のことは数のうちにないかも。
 ぼんやり空を見上げても、ナゾナゾの答えが降ってくる筈はない。舞のポケットの二重に折り返してあるところに顎を乗せて、祥一郎もじーっと黙って、新手の宇宙人っぽい『番人』を観察している。
 あれっきりすとんと黙っちまったけど、電池が切れたのか? こいつここまで来るのに足音全然しなかったけど、どうやって歩くんだろう。
 皮が伸びきってレインコートみたいに弛んでるから、見えないけど、まくってみたらキャタピラだったりして。なんかマヌケ。
 祥一郎は、別にぼんやり勝手なことを考えているつもりはなく、番人の弱点を探しているのだった。自分が普段どおりの体だったら、こんな身長百三十五センチぐらいの奴、どうにかするのは簡単だったろうが、リカちゃん人形より小さくなってしまった今じゃ、体力的には赤ん坊よりたちが悪い。
 上手いこと言って隙を突くとか気を逸らすとかして、舞を逃さなきゃ。
 舞は木の根元に座り込んで、癖なのか指を指揮棒のように振りながら考えている。かしげは最初、そうっと番人の側に恐る恐る鼻を伸ばして様子を窺っていたが、何を嗅ぎ取ったのか、今は舞の振り回す手の下におとなしく伏せている。
 学校の成績は良かったんだけど。
 祥一郎は真剣な顔をしている舞を、ちらっと横目で見た。
 俺って、本当はバカなのか? 番人の言ってること一つも理解できない。ここは俺たちの住んでるところとは違うみたいだから、なんつってもドラゴンまでいるぐらいだし、探せば、番人の言うような何かもいるだろうけど。
 せめて、もう少しヒントはないのか、と祥一郎が言おうと、口を開きかけた時。
「──あっ」
 舞が短い声を上げた。
 自分が思いついたことが、信じられないとでも言いたそうに、びっくりした顔で。
「お、舞?」
 祥一郎の声も、聞いていない。
「っ、かしげ」
 負けず劣らすびっくりしている犬を、不意に押さえつけて、舞は無理やりかしげの体を引っ繰り返した。
「暴れないで! ちょっとだけだから、ね、おなか見せて」
「舞、ちゃん?」
 どうしたんだよ? と言う祥一郎の言葉は、やはり聞こえていないらしい。シャツを引っ張ってみたが無視されてしまった。
 と。
「いた! よーし、かしげ、いい子だ!」
 いた、って何が。急にどうしたんだよ、と祥一郎はわめいたが、舞は必死の形相でかしげの腹を撫で回し、時々、うわっ、とか、待てっ、とか奇声を発している。
「捕まえたっ! 番人さん、これ手形になるよね? ねっ?」
「これって何だよ?」
「ノミよ!」
「のっ……」
 ノミ? かしげに、付いてた?
 絶句する祥一郎をよそに、舞は真剣な面持ちで言い立てた。
「こいつ自分の大きさの何十倍も高くビョンビョン跳ぶし、人の血吸ってるわよ、罪深い生物でしょ?」
 舞に答えるように、ジィーッという機械っぽい音がして、番人の顔(?)、メタリックブルーの窓がパタンと前に倒れた。
 そこから銀の板のような、ベルトコンベアのような物が伸びてくる。舞の前で止まると、その上をガラスのシャーレが流れてきた。ようやく自由になったかしげが、バビューンと逃げていく。
 舞は目にも止まらぬ早業で蓋を開けて、親指と人指し指で挟んでいたノミを入れると、逃げられないようにすかさず蓋をした。出せーっと言いたそうに、ノミが中で跳ねているのが、呆然としている祥一郎にも見えた。
 シャーレとベルトコンベアが一緒に番人の顔の中に飲み込まれ、元のようにダイヤ形の窓が閉じられる。
「いいんですね? じゃ、森から出してもら」
 もらえるの、と舞が言い終える一秒前に。
「ちょっ」
 消えた。
 番人の姿は、跡形もなく、いたという形跡も残さずに。
 どうりで近づいてくるのに足音がしない訳だ。
「やっ、出してくれるんじゃなかったの!?」
「出してくれるみたいだぜ?」
「え」
 徐々に周りを囲んでいた木々の輪郭がぼやけ、明るくなってきている。目を見張る二人の前で、ついに森は消え──というか二人の背後に止まり、二人は街道に立っていた。
 芳真が連れ去られたのと同じ街道かどうかは判らないが、どこかには通じているだろう。どこか、人のいるところに。
「す、すご……どーなってんのかしら、ここ」
 ぼんやりと舞が呟く。
「すごいのはおまえだよ」
 ポケットの端を両手で掴んで呟いた彼の声が、今度は聞こえたらしい。
「なんで?」
「なんでって、普通思いつくか? ノミなんて」
「え、あ」
 舞は照れたように前髪を掻き上げて、へへっと笑った。
「なんかね、高く跳ぶものつったら何かなって、考えてて、そしたら急に思いついたんです。でも通用するかどうか自信なかったけど」
「でも本当、おまえ頭いいよ」
 何と返事をすればいいか判らないのか、舞はへへと笑いながら指で鼻の頭を擦っていたが、いきなりパッと立ち上がり、スカートを払った。
「夕方になってきたみたいだから、とりあえず行ってみますね。かしげ、行くよ!」
 舞が歩きだしたのでつられて移動しながら、祥一郎はまだ半分呆然としていた。
 俺は。
 物心付いてから二十二歳の今まで、自分は何でもできると思っていた。できないことなんて、何もないまま今まで生きてきた。俺が守り、俺が引っ張っていくのだと。
 中学ん時は毎年級長で、高校じゃ生徒会長やったこともある。校外模試じゃいつも優秀者名簿に名前載せてたし、部活じゃ県大会で個人賞を毎年もらってた。
 文武両道で、クラスメートにも担任にも信頼されてて、顔+だって悪くなくて──なのに。
 あの、訳判らんナゾナゾの通行止めが。
 ノミ一匹で解決?
 あああ、俺は。
 ただちょっと体が縮んだだけで、八つも年下の女の子に庇われて、機転一つ効かせられないで。こんな甲斐性のない男だったとは。
 ごめん、秀一郎。いつも俺、偉そうに、いい気になるなよ、って言ってたけど。それ俺のことだ。
 祥一郎が黙り込んだのをどういう風に受け取ったのか、舞も黙ったまま、日の沈もうとしている方向へてくてく歩いている。
 そっちに何かあると判った訳ではないだろう。舞の右手側は先刻まで出られずにいた森で、断崖絶壁はどこへ行ってしまったのか、左は例のサバンナめいた草原、道はうねうねとカーブして、目ぼしいものは何もない。
 ごめん、秀一郎。おまえなんかいなければいいなんて、思ったりして。俺が一番でおまえは二番だから、いても無駄だとか。目障りだとか。
 俺もそう思われてんのかな。あいつに。
 思うよな。俺たちは双子だ。俺が思うことはあいつも思う。大学に上がったばかりの頃、同じ娘を好きになったみたいに。
 あの時。
「告白しなかったなあ……」
 ぽろっと口に出すと、舞が全身でビクッとした。
「なんだ、寝てたんじゃないんですか」
「起きてたよ? ずっと」
「静かだから寝てるのかと思った。何ですって?」
 車に撥ねられる心配がないからか、舞は幅四メートルぐらいの道の真ん中を、大手を振って歩いている。
 この子、十四にしちゃ落ちついてるよな。俺が年食ったからそう思うだけか?
「何をしなかったんですか?」
「ああ、俺、双子の兄貴がいるんだよ。一文字違いの秀一郎っていうんだけど、クラスの同じ女の子好きになったことがあってさ」
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by new-chao | 2005-05-19 14:14 | 小説-黄金のドア(4)

黄金のドア

 真上にある舞の顔を、ずっと見上げるのは疲れる。祥一郎は両手を頭の後ろで組んで、舞にもたれかかった。
「その時、俺は告白しなかったな、って」
「双子って、そっくりなんですか?」
「そっくりそっくり、見分けつく奴なんて他人にはいないんじゃないか」
「へえーっ」
 舞は面白そうに祥一郎を覗き込んだ。
「前の学校に双子の人いたけど、見分けつかないくらいそっくりじゃなかったな。……俺は、ってことは、お兄さんは告白したんでしょう? 祥一郎さんは、なんでしなかったんですか?」
「そりゃあ、……」
 なんで、だろう。
 水色からオレンジに変わりつつある空を見たまま、舞の何気ない質問に祥一郎は固まってしまった。
「お兄さんと女の子はうまく行ったんですか? お兄さんフラれた?」
「……フラれたな、そう言えば」
 そうだ。だから言わなかった。
 秀一郎が駄目だったから、きっと彼女は俺の方がいいんだと思って、勝手にそういうことにして、わざと確かめなかったんだ。そうすれば俺の勝ちで、あたしサッカー部のなんとか君が好きだからごめん、などと言われずに済むから。
 彼女とは二・三回お茶飲みに行って、一回合コンで飲んで、下宿まで送って。それだけだった。
 本当は、真剣に好きでもなかったのかもしれない。あいつに勝ったから、それで用は済んだと。
 本当は。
「俺って卑怯だ」
「え?」
「フラれんの嫌だったからだよ。兄貴がフラれたんだから、同じ顔してる俺も駄目に決まってるじゃないか?」
「そんなこと」
 舞がジロリと祥一郎を睨んだ。彼の顔の大きさと同じぐらいの唇を尖らせて。
 彼の不甲斐なさを怒ったのかと思ったが。
「そんなこと、言ってみなきゃ判りませんよ、いくらそっくりでも別の人間なんだから。双子だからって、見た目だけじゃなくて中身まで自分と一緒みたいに思うのは、お兄さんに悪いです」
 祥一郎は返事をしなかった。
 そっくりすぎて、意識して、でも他人にそっくりだと言われると腹が立った……秀一郎。
 俺があいつを、俺と一緒だと思ってる?
 舞は、祥一郎が黙ったのを彼が気を悪くしたのだと思ったらしく、慌ててすいませんすいませんと言っ──ている途中で「ひゃあ」と叫んだ。
 舞が指さす方向、森の中からこっちに向かって、人の足が二本生えている。脛の真ん中までの、黒い編み上げブーツ。
「あっ、だっ、誰か倒れてる!」


「ちょっ、おじさん! しっかりして!!」
 舞が駆け寄ってみると、倒れていたのは中年──というよりは老年の域に入りかかっていそうな、六十歳ぐらいの男だった。
 焦げ茶の布を丸めた上に、見事に禿げた頭を乗せてノビている。もみ上げから顔の下半分を覆うヒゲは真っ白で、だが凛々しい眉毛は黒々して、縦横どっちにも大きな体。
 ベージュ色のシャツは胸の真ん中までボタンが外れているが、血が出ている様子は取り敢えずない。
「やだ、祥一郎さんどうしよう?」
 祥一郎は舞のシャツを引っ張りながら、よじ登るようにポケットから出ると、飾りネクタイを伝って男の胸の上に降りた。鼓動を確かめるつもりらしい。
「ねえ、おじさん! 起きてよお!!」
 と。
「あー、判った、起きる。起きるからそう騒ぐんじゃないよ」
 いきなりムクッと男が身を起こすので、祥一郎はバランスを崩して男の腹を滑り落ちそうになってしまった。
「うぉっとぉ」
「あ? なんだ、おまえ」
 寝ぼけ眼で男が祥一郎をつまみ上げる。
「まっ、待って、その人はあたしの」
「ん?」
 男がやっと舞を見た。舞は慌てて手を出すす。
「なんだ、先刻から騒いでたの、お嬢ちゃんか?」
「その人返して下さい、大事なんですから!」
「その人、って、コレ? このちっこいの」
「元は大きかったんです! 失くすとすっごく困るんです!!」
「やっぱり俺は財布かっ」
 小手のような物を着けた左手で祥一郎をつまんでいた彼は、不思議そうに二人を見比べて、ふと笑った。
「俺もとうとうモーロクしたかと思ったが、違ったか。やっぱりお姫サンが言うように、仕事の途中で寝るのはやめにするかな……ほいよ、お返ししましょう」
 祥一郎を舞の手に乗せて、男はうーんと伸びをする。
「あー、にしてもよく寝たな。千里? あれ、千里はどこ行った」
 舞と祥一郎は顔を見合わせた。
 心配ないと判ったのか、街道に立ち尽くしていたかしげも側に来る。
「ひょっとして……おじさん、単にお昼寝してただけ?」
「ひょっとしなくてもそうだが? 襲われてノビてると思った? そりゃ、悪かったな。千里!」
 誰かを呼んでいるようだが、千里さんは一向に現れない。男は立ち上がって森の奥を見やった。思ったとおり、やたら大きい。
 祥一郎がまた舞を見た。彼の思ったことが判って、舞も彼を見返す。
「このおじさん、ショーン・コネリーに似てますね」
「ああ、俺もそう思」
「呼んだか?」
 小さな声だったのに、男がくるっと振り返った。
「どうして俺の名前知ってるんだ? おまえさん方」
「え、知、知りませんけど」
「ショーンて呼んだろ」
「ショーンさんて言うんですか?」
 男は眉間に皺を寄せて、不審げに舞を見回した。
「そうだ。俺はショーン・ディスカ、郵便屋だ。お嬢は?」
「あたしは、舞です。彼は祥一郎さん。あの子はかしげで、ついて来ちゃったの。友達を探し──迎えにいくところなんですけど」
「ふん、何か胡散臭いが……ああ、そんな恰好してるとこ見ると、おまえさん方、余所から来たんだな?」
 舞は頷きかけて、はっとした。余所から来たと判るということは、帰り方も知っているかもしれない。
「あっ、そ、そうなんですけど、どうやったら帰れるか、ショーンさん知ってますか?」
「は?」
 指笛をピィーッと吹いて、ショーンは上の方から呆れ顔で舞を見た。
「いや、俺も余所から来た奴の顔見んの初めてだから。ひょっとして迷子か?」
「ちょっと違いますけど」
 やっぱり駄目か。残念。
 突風で髪が顔に掛かった。耳に髪を引っかけつつ、救いを求めるように手の上の祥一郎を見ると、彼は任せとけ、と頷いてみせ、背伸びしてショーンに言った。
「でも総統の家は知ってますよね?」
 ショーンは手のひらサイズの彼を、よくできてるなーと言いたそうにしげしげ眺めてから、舞の方に向かって訊いた。
「総統って、どの?」
「おじさん、俺が訊いてんのに無視するなよ! どの、って、何人もいるのか?」
「五人いる。この辺りだと一番近いのは、ヴァンスの城だが、そこに行くのか?」
「はい、あの、連れて……ひゃっ」
 連れていって下さい、と頼もうとしたのだが、途中でつかえてしまった。
 何か生暖か冷たいものが、不意に耳に触ったのだ。もにょ、と。
 もにょ?
「おお、どこ行ってたんだ? 千里」
 ホッとしたように言って、ショーンが舞の後ろに手を伸ばし、大きな馬ヅラをぽんぽん叩いた。舞はそーっと振り返った。
 文字通り、馬の面がある。
「千里さんって、馬の名前、だったんですか」
「おうよ、俺の相棒で商売道具だ」
 彼に撫でられている間も、千里という茶色い馬は唇をまくって笑っているみたいな表情で、舞の頭から顔を突っ付いてくる。
 先刻の、もにょ、は千里にキスされたかららしい。
「なんだ、千里、お嬢ちゃん好きなのか?」
 ブヒンブヒンッ。
「千里も乗ってけっつってるし、ついでにそのワンコロぐらい乗ってもどうってことないぞ、乗ってくか?」
「乗りたいです! お願いします!」
 ショーンは枕がわりにしていた焦げ茶の布を拾い上げると、ふわりと広げて舞の肩にグルグル巻きにした。肩から膝まで覆うぐらいの、マントだったのだ。
「飛ばすと結構冷えるからな。にしても、そんな短いスカートで可愛いあんよ出して歩いて、節操なしの若いのに会ったら、何されるか判らんぞ? ここには昼間っから足見せてるお嬢なんていないからな。それじゃ、ここに足乗せて──まずお嬢ちゃんが乗る。次にワン子が」
 ショーンが抱き上げようと手を伸ばすと、かしげは猛ダッシュで逃げてしまう。しょうがないので舞は一旦降りて、犬を抱え、先に乗ったショーンに引っ張り上げてもらった。後ろから舞を囲うようにして、ショーンが手綱を握る。
「ワン子と小人落とすなよ、じゃ出発だ」                                                                           (5)へ続く
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by new-chao | 2005-05-19 14:10 | 小説-黄金のドア(4)