カテゴリ:小説-黄金のドア(3)( 4 )

黄金のドア

 水都を迎えにきたのは、先刻すれ違った人とは別の、だがやはりメイドらしい若い女だった。背中の真ん中まである長いブロンドを三つ編みに結って、襟の立った紺色のドレスを着ている。
 そこへ到着するまでに見かけた女は、全員髪を伸ばし、丈の長いスカートを履いていたので、この国ではそれが当たり前なのかもしれない。アクセルのように長髪の男はいても、ショートカットにズボンの女はいないようだ。
 アクセルにどう言われて来たのか、案内人は「どうぞこちらへ」と言った以外は何も余計なことを言わず、黙って城の裏の方へと水都を連れていった。
 裏門らしい小さな門を横目で見て通りすぎ、馬舎の脇、ぬかるんだ土に雑草が繁っているところまで来て、しゃがみ込む。草に埋もれていた鉄の把手を見つけて引き上げると、五十センチ四方ぐらいの鉄の蓋が持ち上がった。地下へ階段が伸びている。
「ここには明かりがありませんので、足元に気をつけて。降りられて左です」
「どうもありがとう」
 水都が礼を言うと、メイドは彼女を見てうっすらと赤くなった。アクセルが自分のことを何と言ったか、少し気になる。
「お入りになられたらこの戸は閉めますが、中に別の者がおりますのでご安心下さい」
「判りました」
 階段は十段ほどと少なく、水都が降りきるまでメイドが天井の蓋を開けておいてくれたので、転ぶこともなく降りられた。階段はレンガでできていたが、床は土を固めてあるだけだ。言われた通り左手に行くと、薄暗いがチラチラする明かりが見える。
 上手いこと言って、自分まで閉じ込めるつもりかという疑いが、一瞬頭をかすめたが。 
 それは杞憂だった。水都が歩いているのは廊下で、格子の影が薄く伸びているのが見える。メイドは誰かいると言ったが、実際にはいなかった。
 三畳くらいの牢は廊下を挟んで二つ、片方は空だ。もう一つは。
「……芳真?」
 呼びかけると、ガタッと格子が鳴った。
「っ、なんでおまえまでここに。あとの二人は?」
「私だけだ、連れて来られたんだ。大丈夫か」
「一応な」
 芳真はTシャツを剣で縦に切られてしまったので、薄い胸と、そこにくっきりと浮かび上がる傷痕が、隠しようもなく見えている。彼が犯人ではないとは思うが、これが火傷の痕なのも事実だ。
「肩の怪我は?」
「こんなの擦り傷だ、騒ぐほどのもんじゃねえよ」
「そうか」
 牢の中も床は土だが、三方の壁と天井は大きな石でできていて、地下なので当然窓はない。
 残る一方は鉄格子で、格子の間から頭は出せるが、それ以上はとても無理だ。錠は頑丈そうな南京錠の親分で、ツルハシか何かあれば壊せるかもしれないが、ここにはない。
「おまえ、連れて来られたって、何のために?」
「ここの世継ぎの君の、妻にするためだと」
「は?」
「私にもよく判らない」
 選ぶ余地がまるっきりなかった訳ではないことは、彼女は言わなかった。芳真を一人で行かせるよりは、少しでも近くにいた方がいいだろうなんて考えて、ついてきたなんてことは。
 水都が降りてきた階段の反対側は壁に突き当たり、そこから左右に廊下は伸びているらしい。城の地下へ続いているのだろう。
 その突き当たりの壁は、胸ぐらいの高さの部分が一部掘ってあり、鍵がしまえるようになっている。ただしその前の扉も鉄格子で、隙間の幅はせいぜい五センチ、女の手でも通らないだろう。
「芳真こそ、その火傷の本当の理由は何だ?」
 水都に見える範囲に、見張りはいない。
 他に誰かが聞いている気配はないが、芳真は水都からフイッと目を逸らした。廊下に点けられた松明の明かりはチラチラと揺れて、表情までは見えない。
「芳真」
「おまえには関係ない」
 芳真は格子から手を離し、投げやりに床に座り込んだ。
 水都は口には出さずに、胸の中でやれやれと溜め息をついた。
「でもおまえがここの総統とやらを襲った訳じゃないんだろう、信じていいんだろう?」
「好きにしろよ」
「なあ」
 芳真にこっちを向かせようと、水都も格子を掴んだまま、ずるずると廊下の床に座った。
「舞ちゃんたち、今どこでどうしてるか、私にも全然判らないんだ。頼れるの芳真しかいないんだよ。どうやったらここから出て、四人そろって帰れるか、一緒に考えよう」
 しゃがんだのが功を奏したのか、芳真は不思議そうに水都を見た。
「何だよ?」
「水都って変な奴。なんでこんな時に、そんなに冷静なんだよ?」
 おまえこそ、何ガキみたいに拗ねてるんだ、と言いたかったが、水都は我慢した。
「パニック起こしても何の役にも立たんだろう。大体ここはどうもおかしい。ダーク・サンなんて国、聞いたこともないし……一人で考えるより、三人寄れば文殊の知恵って言うじゃないか」
「ここには二人しかいねーじゃん」
「三人だよ」
「っ!?」
 不意に頭の上から降ってきた声に、水都はすかさず立ち上がった。一瞬、アクセルの声かと思ったが、違う。
 背が高い。祥一郎と同じぐらいか、この男の方がもう少し高くて、百八十五ぐらいはあるかもしれない。背は高いが体つきはひょろりとして、ちょこんと小さな顔は年齢不詳だ。
 ライトブラウンの短い巻き毛に、ブルーの目、若いのかそうでもないのか……三十代半ばぐらいだろうか。濃いグレーのローブを着て、左手にランプを持っている。
 明かりを持って歩いて来たのに、どうして二人ともこの男が近づいてくることに気がつかなかったのか。
「ここから出たいんなら、方法はあるよ」
 顔も姿もまるで違うが、声だけはアクセルとそっくりな、何となくお坊ちゃんぽい顔のその男は、まずランプをずいと芳真の方へ近づけて、それから腰をかがめて、ぬっと自分の顔も突き出すようにして言った。
「真犯人を見つければいいんだ」
「……おっさん、誰だ?」
「おっさんとは心外な」
 男は大仰に憤慨すると、今度は水都に向かって顔を近づける。
「いくつに見えます?」
「さ、……」
 冷静の鉄仮面を持つ水都も、つい一歩後ずさってしまった。
「三十……六? ぐらい?」
「三十六!」
 男が叫んだので石の天井に声が反響した。芳真が顔をしかめる。
「三十六のどこがおっさんなんだ?」
「三十六なら充分おっさんじゃねーか」
「フンッ、若い時なんて一瞬で終わるもんだぜ、兄ちゃん。特に地下牢なんかに入ってるとね。吠えろ吠えろ」
「……何なんだよ、こいつは?」
 芳真の質問に水都が首を傾げかけると、男は水都の方を向いて二人の間に割り込んだ。
「申し遅れました。私はクール・ロビン、ヴァンス総統家に雇われている占い師兼魔法使いです、どうぞよろしく」
「はあ、池崎水都です、こちらこそ」
「何言ってんだ、おまえまで」
 呆れた芳真がぶつぶつ言うのを聞きとがめて、名前と顔が合っていないように水都には思えるクールは、ジロリと彼を睨んだ。
「せっかく出る方法を教えてやってるのに、感謝の心を知らない兄ちゃんだねえ」
「何がだよ。真犯人を見つけるって、大体俺はこん中じゃ探しようがねーだろうが」
「鍵はすぐそこにあるよ。扉に格子は嵌まってるから手は入らないけど、小人がいれば取って来れる」
 当たり前のことのようにすらすらと言うので、水都は笑ってしまった。
「それより、手っとり早く犯人を魔法で探せないんですか?」
「あいた」
 クールはぴしゃっと自分の額を叩いた。
「鋭いところを突きましたね、さすが美人は頭もいい。……アクセル様がお待ちですので、一緒に来てもらえますか?」
 言い方は優しいが逆らえない感じだ。水都は素直に頷いた。
「判りました」
「また来るからね、兄ちゃん。では水都さん、こちらへ」
 クールがランプで足元を照らして歩きだすので、水都も一度芳真を振り返ってから彼の後を追って歩きだした。肝心の相談はできなかったが、居場所が判っただけましだ。
「おっさん、小人なんかいる訳ねーだろお!」
 芳真の声が二人の後を追って、先刻のクールの声以上に廊下に響いた。
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by new-chao | 2005-05-10 12:58 | 小説-黄金のドア(3)

黄金のドア

 4. 番人付き森林デート


 小人なんている訳ない。
 ……それが、いたりして。
「どーしよ……」
 舞は情けない顔で、胸ポケットの祥一郎を見下ろした。
「全然、街道に出そうにないですよぉ」
 日が傾いてきた感じがする。先刻より木の影が濃くて、前が見づらい。
「大丈夫だって、ひたすらまっすぐ歩いて行けば、絶対いつかは終わるから」
「でも」
「横向くな、どっちが前だったか判んなくなるだろ」
 あの願い事の広場を出てから、どのくらい歩いて来ただろう。とにかくまっすぐ行けという祥一郎を信じてずっと足を動かしてはきたが、元々道のあるところを歩いている訳でもなければ、目印もない。
 ないと言えば、あれほど漂っていたキンモクセイの匂いも今はなく、当然キンモクセイの木も見当たらなかった。鳥の声もせず、ドラゴンの気配もなく、聞こえるのは自分とかしげの足音だけだ。
 これが、恋人と二人で森林浴デート、だったら、絶好のロケーションだったろうが。
「祥一郎さん」
 彼の言う通りにこれが夢で、だから腹も減らずトイレも不要だとしたら、それはそれでもいいのだが、一つまずいことがある。痛みつきのリアルな夢だけあって、長い時間歩いていると当然、なってしまうのだ。
「疲れた」
 言うと同時に舞は足を止めた。もうどっちみち、土や砂で汚れているので、スカートのことは気にしないで落ち葉の上に座ってしまう。
「ええ、もう疲れたのか? おまえ中学生だろう、若いのに情けない奴だなー」
「じゃあ祥一郎さん自分で歩いて下さいよ、運んでもらってるくせに。ポケットの中じゃ判んないかもしれないけど、先刻からずっと上り坂になってんですからね」
「何言ってんだ、俺だって大変なんだぞ、揺れるから酔いそうでさ。うっ、吐きそう」
「やっ、やめてよあたしのポケットの中にするのはっ」
「嘘でぇす」
「ばかっ」
 舞の言い方がキツかったのか、辺りをくんかくんかと鼻チェックしていたかしげが、叱られたようにビクッと耳を後ろに倒した。
「かしげに言ったんじゃないよ、気の小さい犬ねえ」
 どうしてかしげはこう怯えてばかりいるのだろう。単にそういう性格なのか、誰かに酷く苛められたことがあるのだろうか。
 いつも周囲の顔色を窺って、人の手の届かない、でも目の届く範囲にいて。
「ごめん、かしげ。……おいで」
 犬はホッとしたように舌を出して、低い位置で尻尾を振って少し側へ来た。指を伸ばすと、どうにか鼻の頭に指の先が触る。
 軽く撫でて、舞は深く息を吸い込んだ。酸素が新鮮で、肺の中が現れる感じがする。
「空気が旨いな」
 舞の思ったことが判ったみたいに同じタイミングで言って、祥一郎はポケットから小さな手を目一杯伸ばして伸びをする。
「祥一郎さんの住んでるとこって」
 先刻まで喧嘩っぽいことをしていたのを忘れたように、舞はもう普通の口調で訊いた。
「都会の方ですか」
「都会ってほどじゃないけど、街中だな。おやじは田舎に引っ越したいみたいだけど、仕事の都合であんまり遠いと不便だから。おまえんちは?」
「前の家は街の中だったけど、つい最近田舎に引っ越したんです。こんな山の中じゃな

いですけど。あたし転校生だから友達いなくて、他人とこんなに喋ったの久しぶり」
 祥一郎がびっくりしたように自分の顔を見上げるのが判って、舞は慌てて笑った。でも慌てたのが、彼にはバレたかもしれない。
「……じゃあ、淋しいな」
「ううん」
 舞は即座に首を横に振った。
 別に祥一郎を安心させようと思ったのではない、単に、それが事実だからだ。淋しくなんかない。
 そんな風に、思わないようにしてるから。
 あたしは一人で、だから一人でいるのが当たり前。特別なことじゃないの。
「平気」
 淋しいなんて思ったらきっと……ていられなくなる。あれから一緒に暮らしてるママとさえ口をきいてない。学校でも一人で、お姉ちゃんにも会えなくて、だからずっとあたしだけがここにいて、ここがどこかなんてもう判らない、なんて。
 考えたこともない。
「平気です、淋しくなんかないです、全然」
 祥一郎は何か言おうとしたようだったが、舞が早口にきっぱり言い切ったので、結局黙った。
 沈黙。
 何だか変だ。あたし、余計なこと言っちゃったような気がする。祥一郎さんのこと何にも知らない、先刻会ったばっかりの人なのに。
 まだ彼がまじまじと自分の顔を見上げているような気がして、舞は下が向けない。果てしなく続くような森のその先を、風に揺らされる葉を、その木の葉の間から覗く、切れ切れの空を見る。
 でも、何だか。何となく、だけど。
 似てるの。
「あ、──なあ」
 祥一郎さんって、どっか。
 お姉ちゃんに。
「あっち見ろよ、舞、なんか広くないか? あそこは木が生えてない感じだぞ」
「え?」
 祥一郎がポケットの端を掴んで揺さぶるので、ぼんやりしていた舞も我に返った。祥一郎が指を差す方向、舞の目指しているのとは少しずれた二時の方角は、言われてみればそんな感じもする。
「行きます」
 ここからはせいぜい百メートル、舞は彼を落とさないよう手でポケットを押さえて走っていった。かしげが楽しそうに後を追ってくる。
「う、わ……」
 感嘆の声を上げたのは、自分か彼かどっちだろう。そこには、確かに木は生えていなかった。
 渓谷、だ。森の際。
 断崖絶壁。
 どうりで、息が切れる筈よね。こんな高いところまで登ってくれば。
 そーっと見下ろしてみた谷底は、命の要らない人は挑戦したら? という感じの、おっそろしく流れの急なライン川下り状態で、見てるだけで酔いそうだ。落ちたら確実に死ねるだろう。
 舞の胸で、祥一郎もひえーと呟く。
「『激流』って、観た?」
「え? 映画の、ケビン・ベーコンが犯人の、川下りの?」
「そうそう。あれのロケ、この下の川使ったらもっと凄かっただろうなあ」
 楽しそうな言い方に、舞は呆れて言い返した。
「ばか、そんなことしたらメリル・ストリープが死んじゃいますよ」
「そしたら『マディソン郡の橋』もないか。あれ観た?」
「ビデオでなら」
「泣いた?」
「……泣きました」
 祥一郎があまりおかしそうにケタケタと笑うので、舞はつまみ出して落とす真似をしてやろうかと思ったが、やめておいた。本当に落とすといけない。
「もう、そんなに笑うことないじゃないですかっ」
「いや……悪い、実は俺も泣いたんだ」
「えっ」
「イーストウッドが気の毒で。いやー、あの雨のシーンはなあ、傘さしてやれよなあ」
「祥一郎さんて……もーっ」
 天下の名作の、天下の名優に向かってなんということを言うのだ。
 舞は危ないので少し下がって、背筋を伸ばして遠くを見やった。はるか眼下、見渡すかぎりの草原と、ところどころに森、そして街らしき集落が見える。
 一通り眺め回して──舞は声にならない叫びを上げた。指先で祥一郎の体を叩いて、見えるものを指さす。
 山を頂上だけスパッと切ってはげ山にしたような、山というか丘が、草原一つ挟んで目の前にある。砂で作られたステージのように見える、山のてっぺんに、何かがいるのだ。
 何か、ではない。何かは判っている。はっきり判るくらい大きい。
「しょ、祥一郎さん、あれ」
「あれ……先刻の、ゴジラか?」
「ゴジラって言うより、コブラなんじゃ……」
 あれが先刻、二人を追いかけてきたドラゴンなのだろうか。
 頭に長い二本の角、肩の辺りにコウモリみたいな翼のある、巨大なコブラだ。『マンガ日本昔ばなし』のオープニングに出てきた竜のような、短い前足も二本ある。
「なんか、『エイジア』のアルバムのジャケットみたいだなあ。すげー絶景」
 別に怖くはないらしく、呑気な口調で祥一郎が言う。
「知ってる? エイジア。ロックバンドの」
「すいません、知りません。最近の人ですか」
「いや、最近はどうなんだろう。全盛は八十年代だからなあ、舞は知らないか」
「すいません、八十年代はあたし、まだ小学生にもなってなかったので」
「ジェネレーション・ギャップってやつだな」
 コブラ・ドラゴンの赤い目がこっちの方を見そうな気がして、舞はさっと木の間に身を隠した。とにかくこっちからは道には降りられそうにない。
「あたし、とにかく戻っ」
 てみますね、と言いかけたのだが。
「ひゃあっ」
 途中で悲鳴になってしまった。
「舞っ」
 祥一郎としては、目一杯腕を広げて舞を庇ってくれようとしたらしい。だがいかんせん今の彼は手のひらサイズ、手を伸ばしたぐらいではコサージュにも劣るぐらいで。
「恐れるな、我は森の番人」
「……しゃ、……喋る、の?」
 振り向いた舞の目の前に立っていたのは……な、何だろう?
 背丈は舞の胸までしかない。全身を黒いレザーですっぽり覆っているみたいな姿で、でもレザーを着ているのではない証拠に、『エイリアン』か何かみたいな、白っぽい粘液が時々表面を滑り落ちる。手足はない。
 人間なら顔のあるところが、ダイヤ形の、メタリックな青いガラスのようで、こっちを見ているのだろうか、あれで見えているのだろうか、でも恐ろしく無表情だ。
「な、何だって?」
 祥一郎が喉に絡まる声を押し出した。
「罪深き生物を捧げよ」
「は?」
 どこで喋ってるんだろう?
 だが少なくとも、声は普通だ。ちょっとハスキーな男の声に聞こえる。
「それがこの森を出るための手形」
 言っている内容の方は意味不明だが。
「あ、えーと……何、ですって? それがないと、この森からは出られないんですか、ずっと?」
「是。我はそのためにいる。身に余るほどの遙か天空を駆け、他者の命の源泉を糧とする罪深き生き物を、我に捧げよ」
 捧げよ、と言われても。
 藪から棒に、何なんだ、一体。
 舞と祥一郎は顔を見合わせる。
「今の、聞きました、よね?」
「ああ、うん」
「判りました?」
「全然」
 二人は顔を見合わせたまま、二人して同時にハハハと空笑いした。
「どーしよ」
 なんだか先刻から、あたしこればっかりだわ。

           ◇    ◇    ◇
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by new-chao | 2005-05-10 12:55 | 小説-黄金のドア(3)

黄金のドア

           ◇     ◇     ◇

 国の南東に位置する、ヴァンス総統家の城は最上階が二階という、五つの総統家のうちで最もこじんまりとした城だ。
 代々ヴァンスの人間は家道楽の趣味がないらしく、先々代がやっと建てた塔も三階分の高さしかなく、先代も、そしてアクセルの父もそれ以上手を加える気はないらしい。
 二階の南東にある自分の部屋で、アクセルはブーツも脱がずにベッドに足を投げ出して、枕を背もたれに座っていた。窓から入る、傾きかけた太陽の光が、長い睫毛の影を頬に落とす。
 もう鎧は着ていない。白い細身のパンツに、襟元が大きく開いた深いアクアブルーのシャツ。シャツの青は、普段は焦げ茶に見える彼の目の本来の色だ。光に透けると、アクセルの瞳は深く澄んだ青に見える。
 昨日から彼の父は総統同士の会合に出掛けていて、今この城の留守を預かっているのは息子であるアクセルだ。せっかく父を襲った犯人らしき男を捕らえた今、こんな風に自分の部屋でボーッとしているのは、本当はあまりよくはない。彼は今年で二十五、もういつ、相当の座を継いでもおかしくはない年だ。
 父の方には、まだまだそのつもりはないようだが。
 自分とよく似た、父の浅黒く精悍な顔を思い出して、アクセルは秀麗な眉を顰めた。
 せっかくいないのに思い出すなんて、俺はバカか。
 この思いを母の前で顔に出すと、母はまるでそれが自分のせいであるかのように嘆き悲しむので、アクセルは母の前では常に、理解ある良き息子の顔をしていた。一人の時ぐらい、好きな顔をしていい筈だ。
「アクセル様、よろしいですか?」
 扉の向こうから聞き慣れた男の声がして、アクセルは、ああ、と鷹揚に返事をした。この相手はどうしてか、いつもノックをしないで声を掛ける。
「失礼します」
 のっそりと部屋に入ってきたのは、童顔でノッポの魔術師だ。三十代半ばに見えるクールの年が本当は幾つで、いつからこの城にいるのか、アクセルは知らない。物心付いた頃からずっと側にいて、でもまるで年をとっていないように見える。
「お嬢さんをゲスト用のお部屋にご案内致しした」
「そうか」
 捉えどころがなくて、いつも飄々としているクールのことを、アクセルは不思議と好きだった。
 他人には真似できない術を使うし、何を考えているのか判らない感じがするので、クールの城内の評判はそれほど良くはない。だがアクセルは彼を信頼している。クールは嘘をつかないし、余計なことをしないからだ。
 扉がきちんと閉まるのを見てから、アクセルは言った。
「どう思った?」
「とても綺麗な子だ。あなたと並ばれたらどんな星も並んで輝くのはやめるだろう、勝ち目がないから」
「俺もそう思った」
「あなたは女性を見る目がおありだ。父親譲りかね?」
 さらりと言って、クールは陽気に笑ってみせる。
 気に障ることを言っておきながらどこか得意そうなので、彼をジロリと睨んだアクセルも、すぐに笑ってしまう。だからクールは憎めないのだ。
 それにクールは、アクセルの抱える秘密を知っている、国内で数少ない人間の一人だ。
 本人と、ごく限られた人間しか知らない、真実を知っている。
 アクセルはクールに向かって小さく手招きした。クールは音を立てずに枕元に立つ。
「あなたとはよくお似合いだと思うよ、私はね」
「俺もそう思う。まだ何か報告があるんだろう」
「ああ、囚人のことだけど。水都様からご伝言で、あの若者は違うから、『しっかり調べて気合い入れて探せ、顔以外に取り柄のないお坊ちゃんの嫁になんて、脅されたってならないからな』だそうだ」
「ふっ」
 あの女の言いそうなことだ。
 アクセルは両手を頭の後ろで組んで、鼻の先で笑った。
「クール」
「はい?」
「おまえは、あの娘が処女だと思うか?」
 クールは青い目をいやらしい笑いの形に細めると、君主の前にいるにしては偉そうな仕種で腕組みした。
「そればかりは占いで出せる答えじゃないね、一度試してみればすぐ判ることだけど。私に毒味役をしろと仰せなら、喜んで、今すぐにでも」
「よくもまあ、ぬけぬけとそういうことが言えるな、おまえは」
「お褒めいただいて恐悦至極」
「こいつ」
 アクセルは拳でクールを殴る真似をした。クールがひょいと一歩下がって、パンチを避ける。
「いつ、お目当ての女性があなたの近くに現れるかなら、占えるけど。そうしようか?」
「……いや」
 アクセルはベッドから床に足を下ろして、座り直して首を振った。
 クールの占いを信じていない訳ではないし、実際彼の占いはよく当たる。ただ必要ないと思うだけだ。
 運命の女に、いつ出会うかなんて。これから先のことなんて。
 知りたくない。
「アクセル」
 クールが腕を解いて、低く呼びかけた。
 城の人間が時々、自分とクールの声が似ているといると言うが、自分ではよく判らない。
「水都様をどうするつもりだ?」
 クールは自分と二人きりの時、決してアクセル様とは呼ばない。他人の耳があるところではそれらしく、恭しい話し方をするが、二人の時は比較的対等だ。
 いつからかは判らないが、気がついた時にはそうだった。
「水都をどうするか?」
 それをアクセルは特に何とも思わなかった。雇い主の息子、いずれこの国を治めることになる男と、雇われている一介の魔法使いなのに、──まるで友人のように。
「それを訊くのか、おまえが? 判ってるくせに」
 アクセルがまっすぐ見上げると、クールは目を逸らした。残念そうに。
「あの子は余所から来た女だ」
「そうだ。だから何だ?」
 アクセルは立ち上がり、クールの目を見る。わざと。そして唇の端を吊り上げて、笑った。
「俺の物にする」
 神に創られたような美しい顔で、暗い瞳で、笑う。
「そして殺す」
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by new-chao | 2005-05-10 07:17 | 小説-黄金のドア(3)

黄金のドア

  5. 真実

 滅多に人の訪れない北の塔の一室で、床に立てられたろうそくで描いた魔法陣の中央に、男が二人向かい合って座っている。真夜中にこっそりと、この様子を他の人間に知られるのを恐れるように。
 二人とも座っているが、一人はイスを使い、一人は石の床に直接だ。イスの上にいるのは、男らしく甘い顔だちをしたブルネットの二十代の男、総統に就任して三年目のエレイン・ヴァンス。床の上にいるのは現在とほとんど変わらない姿のクールだ。
 今から二十五年前の、ある夜。
 部屋にいるのは二人の他に、総統妃ジニー、そして城の中枢に係わるほんの数人だけだ。それ以外の人間は、今夜城の主がこの薄暗い部屋にいることすら知らない。
 エレインはクールに言われた通り、両手でお椀の形を作り、その手を前へ差し出した。細いガラス瓶に入れた、素人には判らない粉末を何種類か混ぜ合わせて作った青い水を、クールは城主の手に静かに注ぎ込む。
 普通なら指や手の隙間からこぼれるだろうに、闇夜の色をしたその水は一滴もこぼれなかった。クールは床に立て膝して、雇い主の手の中を覗き込む。
 北の塔は裏に山があることもあって、日当たりがよくない。先代がどういうつもりで建てたか判らないが、今代ではもっぱら倉庫として使われていた。
 人の出入りが少ないため、北の塔には余計な『気』も少ない。中でもこの部屋は特にそうなので、クールが占いを行う時に最も適していると言い、以来ここは占い専用の部屋になっていた。
「冷たいですか?」
 今よりも髪の長い、だが今と代わりばえのしないグレーのローブに身を包んだクールが、エレインにだけ聞こえるような低い声で訊いた。
「いや」
 短い返答に、クールは手を見たまま頷く。
 左手で城主の手を下から支えるようにすると、右手で懐から出した小さな物を水の中にひらりと入れる。
「まだ冷たくお感じになりませんか」
 入れたのは厚さ一ミリ、大きさは五ミリ四方の小さな銀板だった。五・六枚入れた板は、水の中で浮いたり沈んだり、ろうそくの光を淡く反射する。
「ああ。冷たくならないが」
「……そうでございますか」
 クールの声に微かに落胆の響きを聞き取って、若い総統は水から視線を上げる。
「悪い結果か」
 クールの青い目がエレインを見返した。
「率直に申し上げます」
 今夜は月に雲が掛かって、いつもよりも一層暗い。
 クールは一瞬、今年やっと二十歳になったジニー妃に目をやり、思い切ったように口を開いた。
「お二方の間に、お世継ぎの君の御誕生はないものと思われます。少なくとも、向こう十五年は」
「な」
 城主は絶句し、その妻は小さく悲嘆の声を上げた。クールは無言でそれを受ける。
「それは確かか。絶対に無理なのか」
「閣下、これはあくまで占いの結果でございますから、絶対とは申せません」
「クール!」
「望む結果が出ないのは私のせいではございませんよ、エル様」
 クールは主が水をこぼさないように強い力でエレインの手首を掴むと、蒼白になっているに違いないジニーの方を向いて、心持ち優しい声で言った。
「もちろん、そうならないよう努力されることは賢明ですが。私は医者ではございませんので、それがお二方様の身体的なことに起因するかどうかは判りませんし、科学的な根拠もありません」
 だから占い師本人が言うことではないが、結果など信じるに足らないものなのだと、クールは言いたかったのだ。
 が。
「いいえ」
 二十歳になったとはいえ、まだ少女といっても差し支えない可憐な妃は、震える声で、だがきっぱりと言った。
「あなたは素晴らしい占い師だわ、クール。エル様、役に立たない妻でごめんなさい」
「それは、どういう……」
 ジニーは足元のろうそくを気にも留めず、夫の方へ近づいた。彼女がこの城へ上がる前から彼女の身の回りの世話をしている、姉妹同然の侍女が、慌てて主人を押さえる。
「ごめんなさい。私、子供に恵まれないと言われるの、これが初めてじゃないの」
「ジニー様」
 侍女の咎めるような声に、ジニーは諦めたように首を振る。腰まで届く焦げ茶の髪を払って、彼女はまっすぐに夫を見た。
「私が生まれる前、偶然通りすがった魔法使いの女に、『おまえの娘は母親にはなれないだろう』と言われたことがある、そう、私の母が話してくれたわ。でも母も私も本気してなかった。きっと父の──結婚前から続いている愛人のどなたかの、嫌がらせだろうと、思って」
 揺らめくろうそくの赤い光に、ジニーの頬を滑り落ちる涙が血の色に光った。見てはいけないものを見てしまったように、クールはさり気なく目を伏せた。
「今の今まで、忘れていたわ」
 エレインはクールの手を乱暴に振り払い、短い癖毛を乱して魔法陣を跨いで、妻に詰め寄った。
 術用の青い水はクールの手を濡らし、石の床に不可思議な模様を描きだす。
「ジニー、おまえ何故そんな大事なことを、ずっとこの俺に黙って……!」
「ごめんなさい、あなた」
 クールは水の走る方向を見て、息を呑んだ。
「生涯おまえだけを愛すると誓ったこの俺に、それがおまえの報いか?」
「エル様」
「違います、そんなつもりは決して」
「エル……エレイン様!」
 滅多に聞くことのないクールの鋭い声に、若い総統はわずかに理性を取り戻した。床に膝をつき、ろうそくの一本を手にした占い師を、射殺しそうな目つきで振り返る。
「なんだ」
「水が告げております」
 クールは火の光で銀板の位置を確かめると、臆することなくエレインを見返す。だがそれは臆していないのではなく、彼を憎んでいるとしか思えない主君の目より、もっと遠くを見ているからだった。
「西に、ドラゴンの加護を受ける男児あり、と。ヴァンス家の未来を約束する、星を持つ御子でございます」
「……それが? 言っている意味がよく判らないが」
「御養子になさいませ」
 その場にいた全員の視線が、切り込むようにクールに集中した。クールは妃を見て、かすかに笑った。
「ご安心下さい、ジニー様。エル様の御落胤が見つかったと申し上げている訳ではございませんので」
「無礼なことを言うな、クール!」
「そんなつもりは毛頭ございません、落とし胤ではないと申しているのですから。エル様のジニー様への愛情の深さは、よく存じておりますよ」
 どうしてこの男は、こんな時に、冗談めいたことが言えるのか。
 だがクールには、重く張り詰めた空気を和らげる才能というのか、雰囲気を和やかなものに変えるという特技があった。
 悪びれないクールの顔に、ジニーの侍女もエレインの片腕である側近も近衛隊長も、当の城主夫妻もホッと息をついた。今まさに、妻に掴みかからんばかりだった手を下ろして、エレインはゆっくり、体ごとクールに向き直る。
「その子供には、何か、印でもあるのか。他人が見てすぐに判るような」
「いいえ。ですが、私が視れば自ずと判ると思います。あなた様の子となるべくして生まれた子供ですから」
「そうか」
 エレインは妻を見て、クールを見て、一瞬だけためらうように目を伏せて──頷いた。
「ではおまえが探しに行け」
「エル様!?」
 止めようとしたのは、誰だったのか。
 城主は振り払うように手をひらりと動かして、誰かを黙らせた。
「ジニーが母となれないという占いが正しいのなら、これもまた正しいのだろう。その子は私たちの跡継ぎとなる子で、ドラゴンの加護を受け、ヴァンスの未来を担っているんだ。私はクールを信じるよ」
 クールは頭を下げて、エレインとジニーに、そしてこの場のことは何も知らされずに終わるだろう国民に、誓った。
「必ず、運命の御子を連れて参ります」


 連れて参られたのが、この俺、だ。
 窓枠に手を置いて、アクセルは薄いオレンジに変わりつつある空を眺めやった。室内には、また彼一人だ。
 左手首にはめた金の腕輪が、鋭く太陽の光を跳ね返す。打ち出された柄はヴァンスの紋章、角と翼を持つドラゴンの姿だ。
 自分が実際に『ドラゴンの加護を受けている』と感じたことは、この二十五年間一度もないが、そう言われてしまう証拠があるのは、アクセルも知っている。髪を下ろしている時には見えないが、首の後ろに、うっすらと赤い痣があるのだ。
 痣は生まれ出た瞬間からあったそうだし、大人になった今も消える気配はなかった。少し離れて見ると、この辺を守護していると言われているドラゴンの形に似ていないこともない、らしい。自分では鏡を使っても見にくい位置なので、よく判らないが。
 父も母も、お揃いにしたかのようなブルネット。男らしいのに甘いエレインの顔と自分の顔は、親子であることを疑う余地がないくらい似ている。
 これで俺が父さんの胤じゃないなんて、どうして堂々と言っちまうんだ、クールの奴。たとえそうじゃないとしても、そういうことにしとけばいいのに。
 母さんのためか。
 風が髪を乱して、アクセルは乱暴に髪を払いのけた。長い髪は時にはうっとうしく、切ってしまおうと考えることも時にはある。だが彼はそうはしなかった。何となく、この痣を人目に晒したくなかった。
 自分と両親に血のつながりがないことを、エレインから聞かされたのは、いくつの時だったろう。
 疑ったことも、ふと思いついたことすらなかった。両親は優しくて、自分に似ていて、……どうして本当は親子でないと思えるだろう?
 その話を聞いて以来、アクセルは両親を憎んでいる。
 産みの親のことは何一つ判らない。クールすら口を割らない。
 判ってる。逆恨みだ。
 俺は優しく守られて、愛されて育てられた。何の不自由もなく、生きてきた。
 でもそれは、全部嘘だ。芝居だった。俺たちは騙している。俺は本当は、どこの馬の骨とも知れない人間の子なのに、のうのうと、次代総統としてここにいて、でも国民はそれが偽りなのを知らない。
 俺は騙された。
 俺は騙してる。
 あいつらはこの秘密が重くて、自分たちだけが抱えているのが辛くて、俺を巻き込んだんだ。一言の断りもなく勝手に、被害者の俺まで、共犯にした。
 アクセルはギラリと射抜くような目で窓の外を見た。風に乗って切れ切れに、バンドの練習している音楽が聞こえてくる。
 去年の誕生日、父の勧めでアクセルは、自分とヴァンス家の将来について占っていた。その結果が、『乙女のもたらす幸福』だ。アクセルが汚れなき処女と結ばれれば、この家は安泰で、ますます繁栄すると、クールの青い水と銀板は告げたのだ。
 だからな、クール。おまえには悪いけど。
 俺が教えてやる。
 占いなんて当てにならないことを。
 おまえたちの思うとおりになんてならないってことを。運命なんてどんなにしっかり決まっているようでも、すぐ変わってしまうってことを。
『ドラゴンの加護を受け、ヴァンスの未来を約束する』のが、俺?
 アクセルはもう一度髪を掻き上げて、笑った。棚の上に活けてあった野草の花束を、無造作に花瓶から抜いて、軽く唇を触れさせる。
 残念だったな。
 そのガキは隣の家だったんじゃないか? 俺は、人違いだぜ。
 おまえたちは、間違ってる。
 間違ってる。
                                               (4)へ続く
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by new-chao | 2005-05-10 07:11 | 小説-黄金のドア(3)