カテゴリ:小説-うちへ、帰ろう(完)( 4 )

うちへ、帰ろう

  4. Don’t leave me alone

部屋を飛び出して大通りまで走り続けた時、冷たい雨の最初の一雫が夏希の頬に当たって、夏希は足を止めた。突然の雨に家路を急ぐ人々の流れに逆らって、ぶつかる肩によろめいても、これ以上進めない。
 夏希は空を仰いだ。ついこの間まで夏だったのにもうすっかり秋に様変わりしてしまったこの頃は、日の暮れるのも早くなった。群青色の空から、一秒ごとに増えてくる雨粒を顔に受ける。
 頬が濡れてるのは、雨のせいだ。泣いてるんじゃない。
 夏希は顔を手で擦った。何度も擦った。洗い流したかった。何もかも無かったことになればいい。初めから何もない。もう、──失うものはない。
 ……あいつ。
 夏希はふと後ろを振り返った。知った顔はない。刑事らしくない長髪も、人々から頭一つ分抜きんでる長身も、見えない。
 喉が震えた。涙を抑えるために、わざと笑った。
 惚れてたんだな、恭子に。自分の妹なのにさ、おまけに顔が似てるからって男の俺にキスまでしやがって。変態じゃねーの。
 亨の、変態野郎。
 声に出さずに呟くと、少し気が治まった。けれど奇妙な思いが頭の後ろの方から沸き上がって、考えまいとしても考えてしまう。あんな奴を、思いやってやることなんてないのに。
 苦しかったのだろうか、妹なんか好きになって。
 その上、三年前に死んでしまって。
 彼の見た写真のほとんどは、病院で撮られたものだった。いつも彼女は明るく笑っていたけれど、痩せていて、春が来たら溶けて川になって流れていきそうな程、色が白かった。一枚ごとに命が弱まるのが、判ってしまうくらいに。
 ……やめやめ、同情することなんかない。あいつと俺は初めから他人で、友達でも何でもなくて、これからも何もないんだから。
 夏希は大きく息をついて、ジーンズのポケットに手を入れかけて気がついた。左側に何か紙が入っている。街灯の下に移動して広げてみると、第一行目には工藤史子とあった。工藤は母親の旧姓だ。住所は隣の県で、母親の実家ではない。
 行ってやろうじゃんか。
 夏希はブルゾンの内ポケットを探った。この上着は自分の物で、ちゃんと財布も入れてある。金は片道分なら何とかなるだろう。
 これ以上、驚くことは何もない。
「じゃあな、……亨」
 夏希は駅に向かって走りだした。本格的に降り出した雨の中を。


 深夜放送の終わった後のテレビのような、妙に物哀しさを感じる耳障りなノイズが、まとわりついている。
  先刻まで夏希がいた床の上に、亨は立て膝をついて座り込んでいた。手には丸められていた彼のシャツを持っている。夏希が一度着て、脱ぎ捨てたのだろう。
 夏希のいなくなった後の部屋はやけに白々しく、静かだ。
 結構、気に入ってたんだけどな……。
 広げてみたシャツはしわくちゃで、破れてはいないけれどボタンが二つちぎれて取れている。一つは見つかったが、もう一つはどこに飛んでいったのか見つからない。ボタンがなくても着るには着られるが、一つを付け直しても元には戻らない。戻らない?
 取れたボタンは二つ。側にあるのは、一つ。
 ふと見ると、夏希が見ていたままになっていたアルバムの中の恭子が、あの頃のままの笑顔で彼を見つめている。ずっとここにいる。誰よりも守りたいと思った恭子は、永遠に十九歳のまま、亨の側にいる。きっと一生、何があってもどんなに彼が変わっても、恭子だけは、彼を愛している。
 ──探せばいい。
 なくなったボタンは。消えた訳じゃない。必ずどこかにある。必ず見つけ出す。
 夏希。
 亨は右手で恭子の写真に触れて、そっとアルバムを閉じた。見合い写真には目もくれず、テーブルの上に重ねて置く。その時やっと気がついた。耳障りなノイズが雨音であることに。
 あのガキ、傘持って行かなかったな。
 たたんだシャツの胸にボタンを乗せて、アルバムの横に置いた。ちぎれた糸を見て、少しだけ笑った。きっと頭にきてシャツを破ろうとして、でも破れずボタンが取れただけなのだ。悔しくて泣きそうになった、夏希の顔が目に浮かんだ。
 初めて会ったあの日、夏希を家に連れて帰ったのはその顔のためだったのに。今彼を取り戻したいのは、何故なのだろう。傷つけてしまったからなのか、ちゃんと謝りたいからなのか、それとも──それとも。
 判らない。そんなこと判らない。
 でも、見つけ出す。
 亨は傘を二本持って部屋を出た。心当たりなんて、まるでなかったけれど。

                  ◇     ◇     ◇ 
   
 JRで一時間ほどかかって、夏希は目指す県の県庁所在地に着いた。生まれてから一度も来たことのない所なので土地勘がなく、駅員に訊いて私鉄に乗り換え、降りた小さな駅で一台だけ待機していたタクシーの運転手に住所を見せると、車で十分の所だと言う。そのくらいの金は残っていたので、夏希はタクシーに乗った。
「お客さん、その史子って人とどういう関係なの?」
 旅行者で、まだ夏希が若いからだろうか、それともこの小さな街ではこんなことでも話題になるのか、運転手の中年の男は気安く尋ねた。夏希はルームミラー越しに冷たく答える。
「別に。若いツバメじゃないのは確かだよ。それよりおっさん、火持ってない?」
「持ってるよ」
 男がマッチ箱を肩ごしに差し出す。受け取ろうと片手を出してもう片手でブルゾンのポケットを探って、何も入っていない感触に、差し出していた手も戻して反対のポケットも探してみる。
「あ、……ごめん、やっぱいいや」
 タバコを持っていない。未成年が喫煙するな、とやかましく言う奴と一緒にいるうちに、吸わないのが当たり前になっていたらしい。それに本当はそんなに好きだった訳でもなくて、……何となくドロップアウトした男としては、タバコぐらい吸わないと恰好つかないような気がしていただけで。
 二週間で、こんな些細なことも当然のように変わってしまっている。
「そうだ俺、禁煙中だったんだ、うん」
「へえ、何日続いてるの? おじさんいつも三日坊主でさあ」
「……十日ぐらい」
「すごいなあ、でもお客さん、高校生じゃないの?」
 最後の言葉は聞こえなかったふりをして、夏希は窓の外を眺めた。見知らぬ夜の街は雨にけぶって、よりいっそう他人行儀だ。情けないが、少し、不安だ。怖い。
 黙ってしまった夏希に運転手もそれ以上話しかけず、無言のタクシーはワイパーの動く音だけをぎしぎし鳴らして走った。行き交う車もまばらになった住宅街へ入って少し行った所で、停まる。
「お客さん、ここだよ。メゾン・サンライズ、だろ? このアパートだ」
「……どうも」
「あ、傘持って行きなよ、他のお客さんの忘れ物、もう二ヵ月も預かりっぱなしなんだ」
 男は助手席から青いビニール傘を取って、夏希に渡した。夏希は素直に礼を言ってさす。
 メゾン・サンライズはその輝かしい名前とは裏腹にひどく寂れて、人が住んでいるとは思えないほど静まり返っていた。一人しか通れないような狭い階段の下に、錆びた郵便受けが六つ。母の部屋は一の三だが、名前は貼られていない。
 その時、ドラムロールのような音がして夏希は思わず振り返った。バイクの音かと思ったのだ。しかしそこには何もなく、違っていたと判ったら、ギュッと心臓を掴まれたような気がした。
 今のは、雷だ。
 嫌な感じに胸が締めつけられたが、もうここまで来て後戻りはできない。夏希は大きく息を吸い込んで足を進めた。道路側から数えて三つ目の、薄っぺらいベニヤ板の前で一瞬引き返そうとしかける足に力を入れて、拳をドアに打ち下ろした。ゆっくり二回、少し置いて、三回。小さな窓には明かりが点いている。中には誰かいる。
「……はーい」
 弾んだような女の声がして、ドアが開いた。


 都心の地下街のメインストリートで、俊一はファーストフードの店とアクセサリー屋の間の壁に凭れて、人待ち顔で流れて行く人の顔を眺めている。土曜日の夜だ、地上はまたしても大雨で、ついでに雷のサービス付きだが地下には関係ないので、人々はデートやコンパに足取りも軽い。俊一と同じように、この辺りで待ち合わせをしているのか立っている若者も多く、少女達をナンパしていく男達もいた。だが俊一よりは年上だろう。
 今日はあいつ……パトロールに来ないのかな。
 バサバサの金髪、裾を引きずっている擦り切れたジーンズからは何連にもしたチェーンがじゃらじゃら下がっていて、両手合わせて六つも偽物のでかい指輪をはめている。通りしなに目が合った女の子がさっと目を伏せる、いかにもパンク少年の姿だが、手に持っているのはマクドナルドのコーラで、その辺は普通の十五歳だ。
 外村……トオル、とか言ったかな、あのポリ。
 身動きする度に腰の鎖がじゃらじゃらと音を立てる。知らず知らずのうちにあの、刑事らしくない長髪の大男を探していることに気がついて、俊一はがばっとコーラを飲んだ。初めてあの男に捕まった時のことを思い出す。
 その時俊一は、仲間達と駅前のロータリーにたむろって、コーヒーの空き缶でカンケリをしていた。俊一以外は全員高校生だったが、私服の外見だけで見分けなんてつく筈ないのに、あの男ははっきり自分だけに向かって言ったのだ。
『義務教育のうちは、夜は早くうちへ帰れ。顔を見せて親を安心させるのが、子供の仕事だ』と。
「あのな、刑事さん」
俊一は面と向かって見上げるのが癪に触ったので、わざとしゃがんだまま返事をした。
「うちの親は、俺がいなくなろーが事故起こそーが、別に何とも思わないでっけえ肝っ玉を持ってんの。ムショに入れてくれるんなら、俺そのほーがいいなあ、屋根有り布団有りの三食付きだろ?」
「……名前は?」
「渡辺俊一」
「俊一、おまえはその若さで前科者になりたいのか」
 責める訳でも詰る訳でもなく、静かに男は言った。
「おまえの人生なんだぞ」
「説教すんのかよ」
「説教じゃなくて、提案だよ。いつでもいい、何か困ったことがあったら、いや何もなくても、俺を頼って来い。刑事が気に入らないなら、俺は外村亨個人として話を聞くから」
 そこまで思い出して、俊一はコーラの氷をガリガリと齧った。話なんかできる訳がなかった。
 家には酔って家族に暴力を振るう酒乱の親父と、いつも殴られてそれでも財産が欲しいので別れられない母がいます。姉はそんな親に愛想を尽かして、どこの馬の骨とも判らない男とカケオチしました。ボクは母を守ってあげたいけれど、父は柔道の有段者、成長途中のボクはとても敵いません。ボクは両親が嫌いです。だから家には帰りたくありません。
 ……なんて、世間じゃよくあることだ、でお終いだよ、どうせ。
 時々、昔のことを思い出すけれど。まだ父が正気で、優しくて、にこにこして、家族四人楽しかった頃を思い出すと胸が痛いけれど。
 あの頃には戻れない。
 両親が別れるまで、うちには帰れない。
 傾けたコップからバラバラッと氷が床にこぼれた。ぼんやりと俊一はそれを見下ろした。
 そういえば、なんて言ったっけ、バイクの盗み方教えてくれた奴。女みたいな顔して俺より三つも年上のあいつ、ねぐらを一か所に決めた、とか言ってたな。
『俺の気まぐれっていうか一種の遊びっていうか、そんなもんだけど。誰かに泊めてくれって頼むより、泊まってけって言われる方がいいじゃん?』
 なんて、少し照れくさそうに。
 まんざらでもなさそうに。
『同居人が変な奴でさ、俺より十も年食ってるおっさんで本当に変な奴だけど、うるさいこと言わないし……ま、、誰かと一緒に暮らすのも、そんなに悪くねーよな』
 落ちた氷が少しずつ溶け始める。
 そう言って笑った知り合いの顔が頭の中で広がって、俊一は今度はこぼさないように氷を齧った。
 羨ましい。悔しいけれど、認めたくないけれど──淋しい。
 俺はいつまでも、ここにいなきゃいけないんだろう……?
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by new-chao | 2005-03-21 18:50 | 小説-うちへ、帰ろう(完)

うちへ、帰ろう

……亨が目をかけてやっている、自分の家によりつかない少年少女のよく集まる場所にも、いつか本人が客を待つと言っていた繁華街にも、夏希の姿はなかった。
 彼は夏希の友人を知らないので、彼が寝泊まりしていた家はどこか判らない。時々見かけた顔見知りに、夏希のことを尋ねてみたけれど、今日は会っていないと言う。
 夏希が歌っていた公園に来てみたが、やはり少年の姿はなかった。車の運転席に戻って溜め息をついた。苛々とハンドルを叩く。
 これ以上知っている場所はない。彼の兄の家も聞いていないし、他に家族なんて……。
 あ。
 はっ、と亨は思いつきに身を緊張させた。ある。まだ一か所、判っているところが。ただ夏希が、そこに行くとは思えないけれど。
 一度だけ見た、工藤史子の住所を頭の中で繰り返してみる。覚えている。ルームランプをつけてサイドポケットからロードマップを出して開いて、道順をたどって見た。大丈夫、行ったことはないが行けるだろう。
 無駄足は百も承知だ、このまま家へ戻るよりずっといい。
 亨はルームライトを消してウインカーを出すと、国道に向かって車をスタートさせた。


「……別に、会いたくて来たんじゃないからな」
 居心地の悪い、雑然とした部屋でドアと同じくらい薄っぺらい座布団に座って、夏希は挨拶よりも先にそう言った。狭すぎる部屋の中に細々とした物が溢れて、よりいっそう、狭い。
「そう……それなら」
 史子はドアを叩いたのが夏希だと判った時、そのまま昇天するのではと夏希が思ったほど青ざめたが、今はもう落ちついて、彼の向かいに膝をついていた。
「何しに来たの、こんな所にまで」
 湯飲みも歯ブラシも何もかもが二つづつ、部屋の奥にはトランクスも干してある。夏希はそれらから目を逸らして、彼の知っている顔よりもずっと老けた母を見返した。
「……どうしてここが判ったの」
 大きな目と太い眉は、母親似なのがはっきり判る。
 同じ形をしている。
「知り合いに刑事がいるんだよ、俺」
 いい加減にくくった髪の柔らかさも、母譲りだ。
「おまえこそ訊かねーのかよ、親父や兄貴のこと」
「どうしてるの」
「兄貴は一昨年結婚して、一児のパパだよ。親父は」
 史子は玄関を気にしている。安い雨戸に雨の当たる音がひどく、大声を出さないと聞こえない。
「親父は六年前に死んだ!」
 言い切ると一瞬、史子の顔が辛そうに歪んだけれど、すぐ元に戻った。昔のことなど聞きたくないとでも言いたげに。
 その表情に──夏希は頭に血が昇った。
「どうしてっ!」
 二人の間にあったちゃぶ台を叩くと、思ったより大きな音がして史子は肩を震わせた。
「乱暴はやめて!」
「まだ何にもしてねーだろうっ。俺はただ訊きに来ただけだ、あの日のことを! 親父はてめえが出てってから、二度とてめえのことを口に出さなかった。心配してるようなことも言わなかったけど、責めるようなことも言わなかった」
 史子は気持ち胸元を庇って、壁際に後退った。顔は少女めいているが夏希はれっきとした十八歳の男だ、力では敵わない。夏希が乱暴なことをしないかを、どこか上の空で気にしている、白々しい顔が、他人を馬鹿にしたようなその顔が特に自分に似ているのが判って、余計に苛々する。
「言ってみろよ、八年前出てった理由を! 今一緒に暮らしてる奴が理由かっ?」
「違うわ、この人は関係ない」
「なら親父か? 親父が俺たちの知らないところで女でも作ってたのかよ」
「違うわよ、お父さんは──圭介さんはそんな人じゃないわ」
「それなら」
 夏希はちゃぶ台を踏み越えて母の肩を掴んだ。無理に顔を自分に向けさせる。
「それならなんで、どうして俺たちを捨て た!?」
 爆音のように雷鳴が轟いた。耳を覆いたくなる竜の咆哮。史子が何か言おうと息を吸い込んだ時、ずっと彼女が気にしていた玄関のドアが開いた。
 そこにいたのは。
「……おまえ」
 大柄なシルエット、稲妻に激怒した表情を浮かび上がらせて。
 夏希は初めて見る、おそらく史子の同棲相手の男は夏希の姿を見て、決めつけるように怒鳴った。
「やっぱり若い男がいたんだな、それも俺のいない間に連れ込んで! 先刻俺と言い争ったのは、この男をここへ入れるためだったんだな!!」
「そっ、それは違うわ、あなた!」
「言い訳できる状況か、これがっ!!」
「聞いて! 誤解なのよ、あなた待っ」
 史子の言葉には耳を貸さず、雷のような音を立てて男がドアを閉め、去っていく。
「待って!」
 史子は追いすがったが恋人は戻らず、史子はドアを開けたまま、涙目で部屋にいた夏希を睨んだ。入ってくる雨粒も気にせずに。
「……そんなに知りたいなら、教えてあげるわよ。あたしがどんな気持ちで桃野のうちを出たか、あんたには判りゃしないわ、夏希」
 胸を大きく喘がせて、史子は十八年間黙っていた事実を吐き出した。
「──あんたは圭介さんの子じゃない」
 閃光。
「あたしが家を出たのは、夏希、あんたのせいよ。あんた自分の顔見たことあるでしょ? どこがお父さんに似てるの? ……十九年前、圭介さんが出張に行って家にいなかったあの日、あたしはパートの仕事先から帰る途中、男に襲われたわ。全然知らない、どこの奴か見たこともない大学生ぐらいの男だった。そいつは大学に三浪中でノイローゼ気味で、自分のしたことが何か判ってなかったわ。ただ欲望のままに、平凡で幸せだった主婦を犯した狂犬、それがあんたの本当の父親よ」
 夏希は立ち上がって史子に近づいた。何をしたいのかは自分でも判らなかった。
「冬貴を難産で生んだ時、お医者様に言われたわ。あたしの体は堕胎には耐えられないから、家族計画はしっかりなさい、って。あたしは幸せだった。優しい圭介さんと可愛い冬貴がいれば他には何にもいらなかった。でもあんたが、できたらおろせない悪魔の子が、あたしのお腹に宿った」
 史子の頬を伝うのは涙か、雨か。自分の頬を流れるのも。
「判った時、死のうと思ったわ。でもどうしてあたしが、あんたなんかと死ななきゃいけないのよ? あたしは被害者じゃないの! あんたは悪魔の子よ、おろせないから生んだだけよ。圭介さんは決して責めなかった、あたしを恨まなかった。だから我慢できなかったわ、あんたが日ごとに圭介さんと違う顔に成長していくのを見るのが、あたしには耐えられなかったのよ!!」
 夏希は腕を伸ばして、母の細い肩に手を置いた。声が出なかった。
 ……光の竜が、大切な何かを連れていく。
 無言のまま夏希はふらりと母の家を出た。タクシーの運転手がくれた、傘も持たずに。


 ごめん。
 そんな素振り、全然見せなかったな、親父。兄貴も俺も、大切な息子だって、何でも同じようにしてくれた。冬に生まれた宝物みたいな冬貴と、夏、実際は九月だったけど、希望と一緒に生まれた夏希、ってお父さんがつけたんだぞ。そう言って、俺の手を引いて一緒に歩いてくれた。自分の……本当の息子じゃないって知ってて。
 親父。俺、親父の死に目に会えなかった。子供の見るものじゃない、なんて言われて、会わせてもらえなかった。
 親父、親父が死んだあの日、今夜みたいな雷雨のあの日、──俺が死ねば、良かった。 ごめん。

                   ◇     ◇     ◇    

 これ、か?
 亨がメゾン・サンライズの前に車を停めたのは、夏希がここを去ってからおよそ三十分後の八時十分すぎだった。元々方向感覚は発達している方なので道にはほとんど迷わず、途中で一度人に尋ねたので辿り着くのは簡単だった。
 まだそんな遅い時間ではないのに、すれ違う車はない。左側に寄せて非常点滅灯をつけて、亨は車を降りた。
 冷たい雨風が長い髪を巻き上げる。傘を開いて道路側から三つ目のドアの前まで来て、扉が細く開いていることに気がついた。ノックしようと上げかけた手を下ろして、そっとノブを引いてみる。
「あの、こんばんは」
 低く声を掛けると、三和土にしゃがみこんでいた史子が泣きはらした目を上げた。
「あの、突然ですがこちらに、あなたの息子さんがいらっしゃいませんでしたか」
「……あなたは?」
「俺は夏希君の……知り合いで、外村と言います。刑事をしています。今日俺は夏希君を傷つけてしまって」
 亨がそう言うと、史子は顔を手で覆って震える息を吸い込んだ。
「傷つけたのはあたしの方よ、生まれてきたのはあの子のせいじゃないのに……」
「えっ、お母さん?」
「あたし、どうかしてたのよ」
 史子は手を離してすがるように亨を見た。夏希と同じ形の目が、先刻の夏希と同じように炎の色に濡れている。
「あの人と喧嘩してあの人が出ていって、またあたしは一人になるような気がしたの。それもこれもみんなあの男のせいみたいに思ったわ。そしたら狙いすましたようにあの子が、忘れたい過去そのもののあの子が来たのよ、八年も経ってるのに! ……あの子さえいなかったらって思ったこともあるわ、毎日辛かったわ」
 何のことを言っているのか亨には判らないけれど、亨は頷いた。史子は錯乱しかけている。ここで放り出すことはできない。
「だからあたし、あの子に酷いこと言った。あんたのせいだって言ったわ。でも本当は違うのよ、夏希はあたしの子よ! あの子を……あの子を愛してる、本当はずっと会いたかったわ」
 雷が長く轟いた。胸を騒がせる不穏な音だ。
 亨は雨に濡れたコンクリートに膝をついて、史子の肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「お母さん、それで夏希は?」
「判らない、ずいぶん前にふらっと出ていって……」
 この冷たい雨と、恐ろしい雷の中を。一人で。
「探します。見つけますから、お母さん、しっかりしてください」
「夏希、……許して……」
 泣き崩れた史子を残して、亨はドアを閉めた。天も、狂ったように泣いている。

  5. My heart lulled song

怖い。
 ──寒い。
 どこかへ行くほどの金はもうない。せめて屋根のある所へ行こうという気も起こらずさまよって、辿り着いたのは小さな小さな公園だった。公園といってもベンチと丸く区切った砂場しかない、本当に狭い空き地だ。誰もいない。外灯の光も届かない。
 俺は狂犬の子。
 闇の中で耳をふさいで、ベンチに座った夏希は目を閉じている。顔に当たる雨は凶器のようだ。ブルゾンもジーンズも水を吸って、体の心まで水に浸かっている。
 役に立たないから捨てられたなら、良かった。他に男ができて出ていったなんて平和なこと、どうして想像していたのだろう。
 耳の奥から、母の絶叫が離れない。
 あんたは悪魔の子よ。
 それが何だって言うんだよ。そんなこと俺には関係ない。俺が生まれたのは俺のせいじゃない。俺はおまえの言うことに傷ついたりしない、おまえに捨てられて淋しがったりなんかもしない。おまえの不幸は俺には関係ない。俺は今までも一人でこれからも一人で、俺は何も変わらない。全然、何にも変わったりなんか……。
「ごめん……!」
 手を耳から離して膝を掴んだ。思わず出た声はかすれて、雨粒に打ち砕かれた。目を開けても何も見えなくて、誰に謝ればいいのか、何を謝ればいいのか判らなくて歯を食いしばった。
 夏希の体まで裂こうとするかのように、天を稲妻が激しく駆け抜ける。恐ろしい竜の唸り声。これは罰なのか。断罪ならば俺を粉々にしてくれ。誰か俺を赦して。
 ……でも、誰も、いない。
 寒さで爪先が痛い。泣きすぎて目も痛い。胸が痛い。心臓が、心が痛い。もしも今ここでこのまま死んだら、俺は赦されるのか。死んだ親父も生きながら苦しんでるお袋も、もう二度と俺の顔を見ることはなくなる。親父に少しも似ていない、俺の顔。消してしまえば救われるのか。
 はっ、と夏希は周りを見回した。雷雨の音に混ざって人の声が聞こえたような気がしたのだ。
 ……亨?
 思いついて首を振る。あいつがこんな所にいる訳がない。
 長身で長髪でちょっとハンサムな、二週間だけの同居人。飯代も家賃も払わずに暮らしたけれど、何も言わずに雷から守ってくれた。
 もしも死んだら、もう二度と会えないな。
「……き!」
 男の声が耳を打って、夏希は立ち上がった。誰かの名前を呼んでいる。騒音に負けない大声で。
「夏希……!!」
 夏希、と。彼の名を。
 夏希は闇の中で目を凝らして叫び返した。
「亨!?」


 夏希の小柄な体は雨に打たれていっそう小さく見えた。手にもう一本持っていることを忘れて、亨は自分のさして来た傘をさし出した。
「夏希」
 夏希が史子に何を言われたのか亨は知らない。慰める言葉は持たない。ただ何となく、あまり遠くには行っていないだろう、という予感に動かされて走り回った。
「夏希、俺はね」
 何を言うべきかは判らない。だが夏希よりも先に何かを言わなければいけないような気がして。
 こんな小さな、今にも消えてしまいそうな夏希を、見ていたくない。
「俺はおまえのこと好きだよ」
 彼自身も意外なほど自然に、するりと口を衝いて出た言葉に、夏希の目が大きくなった。
「恭子じゃないのも判ってる。でも、本当の弟みたいに思ってる」
 亨は冷えきった小さな肩に手を伸ばした。
「大好きだよ」
「何言ってんだよ!?」
 夏希は亨の手を振り払って、衿に掴みかかった。
「何言ってんだよ、亨、俺のことなんか何にも知らないくせに」
「知らなくても、知らないなら知っていけばいいじゃないか」
「おまえはっ!」
 弱い拳が亨の胸を叩く。夏希が頭を振るたびに雫が亨の頬にまで飛んだ。
「おまえは知らないんだ、俺のこの顔の意味を! 俺がこんな顔さえしてなかったら、俺は、誰もことも……」
「違うだろう」
 亨は空いている方の手で、夏希の凍った拳を握った。柔らかく、決して解けないように。
「違うよ夏希、その顔は、俺と出会うためだよ。いつかきっと……俺はもう一度、この顔に会いたかった……!!」
 夏希の大きな目が亨を見上げた。美しい涙が頬を伝った。
「俺が、おまえの家族になる。もう雷も怖くない」
 震えている唇。目が一瞬だけ笑いの形に歪んで。
「……バカ野郎……」
 ぶつかってきた体を受け止めて、濡れるのも構わず亨は夏希を抱きしめた。大丈夫だと髪を撫でて、これ以上少しでも雨に当たらないように腕に力を込めて抱きしめた。
「ごめん……」
 腕の中で夏希の呟く言葉が誰に向けてのものか、亨には判らないけれど。夏希の涙が治まるまで、彼はじっと無言で夏希を抱いていた。


 遠くでまた、雷が鳴った。
 翌日の日曜日、二人は風邪で寝込むことになるのだがそれは明日のことで、彼らはちょっと熱っぽいかなと思いつつも布団を並べて、特に何もせず横になっている。車のシートをびしょびしょにして帰ってきた、亨の家だ。亨と、夏希の家だ。
 夏希は、自分が風呂に入ってい間に、亨が史子に電話を掛けたことを知らない。ちゃんと見つけ出したこと、一緒に暮らすことを報告して、良かったら是非遊びに来てください、と言ったことを。ありがとうございます、よろしくお願いします、と母が泣いていたことも。
 ──外村さん、あの子は……夏希は、一人じゃないんですね……。
 夏希は布団の中でふと目を開いた。小降りになった雨と、時折思い出したように届く雷鳴に耳を澄ます。亨、と小さく呼びかけてみたが返事はなく、疲れて熟睡しているようだった。
 夏希は顔を右側に向けて、隣で眠る亨を見た。掛け布団から覗く、高い鼻のライン。左腕が無造作に布団の上に出されている。しっかり眠っていることを確認して、夏希は右手を伸ばした。大きな手にそっと手のひらを重ねてみる、と。
 眠っている筈なのに、亨の手に力がこもった。絶対寝ているのに、強く握ってくれた。長い指、温かい手のひら、……俺は一人じゃない。
 恭子の夢でも見てるんじゃねーだろうな。
 夏希は心の中で悪態をついて、少し笑って、目を閉じた。つないだ右手はそのままに、なんだかすごく安心しながら。
 痛えよ、この馬鹿力。
 彼の枕元には亨の買ってきた土産のCDが置いてある。明日二人で一緒に聴くつもりなので、パッケージはまだ破られていない。
『サウンドトラック・天空の城ラピュタ』、それがこのCDのタイトルだ。
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by new-chao | 2005-03-21 18:38 | 小説-うちへ、帰ろう(完)

うちへ、帰ろう

                ◇     ◇     ◇  
  
「ねえ俊一、今夜も出掛けるの?」
「うん、約束があるからさ」
「……今日はその約束、断れない?」
 靴の紐を結ぶために、上がり框に座って足元に屈み込んでいた俊一は、いつになくきっぱりした母の声に顔を上げた。日曜日の午後七時半、昨日の雨もすっかりやんで、今日は思い切りバイクを走らせても平気だろう。理由は知らないが、やかましい親父もいないし。
 俊一の家はどっしりとした木造建築の一戸建てで庭もある、最近ではそう簡単には手に入らない代物だ。外は立派だ。住んでいる人間はともかく。父が……と言うより父の父が建てた。
「今日はね、お父さん会社の宴会で遅くなるんだって。だからお母さん、俊一に」
「母さん」
 俊一は結びおわった靴紐から手を離して、母の方を向いた。元々ブスではないのに、心労でかやつれて見える。原因は俺か、親父か。
「母さんもどっか行った方がいいんじゃないの? 夜中に暴れても、助けてくれる奴なんていないぜ」
「俊一はどこへ行くの、お友達のおうち?」
「別に。待ち合わせて、適当に」
「俊一、母さんはね」
 母は俊一の傍らにしゃがみこんだ。履いている花柄のスリッパが所々茶色なのは、いつか殴られた時に出た鼻血の染みだ。
「俊一に話があるのよ、相談があるの」
「相談?」
 俊一がひらひらと手を振ると、腰の鎖がじゃらじゃら鳴った。
「そんなの俺にしていい訳? あんたがいつも、いっつも子供だ子供だって言ってる俺に、さ。姉ちゃんか、まともん時の親父に言えよ、俺なんかあてにしてねーで」
 母は少し傷つけられたような顔をしたけれど、それについては何も言わず、ひらひらと振られた俊一の手を取った。
「この指輪どうしたの? 盗んだんじゃないわよね」
「違うよ、もらったんだ」
 くれた友達が盗んできたことまでは、言う必要はない。
「そう、良かった」
「じゃ俺、行くから」
 手を振り払って俊一は三和土に立ち上がった。母も慌てて立ち上がる。
「待って、あなたちゃんと学校行ってる? 毎晩遅いでしょう、睡眠時間だって短くなるし、体にだって良くな」
「何だよ急に」
「母さん心配なのよ」
 母の方が高い所に立っているのに、目の高さは変わらない。いつの間に自分は、こんなに大きくなっていたのだろう。
「俺のこと心配してる場合か? 俺のことより、てめえのこと心配しろよ。じゃあな」
「母さんは、あたしのことより俊一のことの方が心配よ! 俊一とお姉ちゃんのことだけ考えてるわ、どうしたらあなたたちを幸せにしてあげられるか、そればっ」
「冗談抜かすなっ!」
 開きかけた玄関のドアを閉めて、俊一は怒鳴り返した。
「本当にそう思ってんなら、あの酒乱親父と別れればすむだろうがっ! あんたはあんな男のでも財産が欲しい、それだけなんだよ、俺のことはほっといてくれ!!」
「俊一! 母さんは……!!」
 ガンッ、とドアを開けて俊一は家を出た。追いすがってくる母の声は無視して、盗んできたバイクのエンジンをキーを使わずにかける。走りだして少し行ったところで、昼間母が買い物に行っている間に姉から電話があったことを、言い忘れていたのを思い出した。姉は自分の住所を俊一だけに教えてくれているので、行こうと思えば行ける。彼氏との邪魔になるのは判りきっているので、行ったことはないが。
 姉は弾んだ声で俊一に言った。
『妊娠しちゃったのよー、やったねっ! って感じ』
 姉ちゃんは、そこで、幸せなんだな。でも俺は……。
 母の傷ついたような顔が脳裏に浮かんだ。慌てて打ち消した。ここ何日か、何か言いたそうにしていたのを思い出す。
 母が二日前、市役所から離婚届けをもらってきていたことを、俊一は知らない。

               ◇     ◇     ◇ 
   
 ふわああっと亨は机に肘をついて、課長が見ているのも構わず、本日午後に入ってから十二回目の大きな欠伸をした。十月十八日月曜、天気が良くて気温も適当で、昼飯も食べたし、昨日夏希と一緒になって引き込んでしまった風邪にけりをつけるために飲んだ、風邪薬がよく効いて……眠い。
 ああ平和だ。
 スリもかっぱらいも万引きも何の通報もなくて、体を動かす仕事もない。これで俊一たちが、深夜徘徊せずに家へ帰ってくれれば、もっと平和でいいのに。
 そんなことを思いながら亨が十三回目の欠伸をぶちかました時、いつもしなを作って寄ってくる清美が、今は何故か目をつり上げて亨の側へ来た。美人だけに凄味のある表情だ。亨は思わず姿勢を正して彼女を見上げる。
「外村さんっ」
「は、はい」
「受付にお客さんがお見えですっ」
「あ、客」
 何を怒ってるんだ、清美ちゃんは。
 少年課と受付は目と鼻の先だ。恐る恐る椅子から立ち上がって、受付の方へ回ろうとしかけた亨の背後から、尖った清美の声が追いかけてきた。
「外村さんっ、あんな可愛らしい恋人がいるんなら初めから言ってくださいよねっ。でも彼女まだ未成年でしょ、変なことしたら犯罪よっ」
「は?」
 恋人、って一体、誰を誤解してるんだ?
 訊こうと思ったが、清美はグラマーな尻を振って自分の席に戻ってしまった。首を傾げながら亨は少年課を出て、受付と待合席の方へ回る。
 受付には、平日の昼間だというのに学校をさぼったらしい俊一と、髪の長い少女がこっちに背中を向けて、壁のポスターを見ていた。俊一はともかく、大きめの綿シャツにロングスカート、パーマっ気のない黒髪を背中に垂らした少女に、見覚えはない。清美や課長をはじめ課の職員がみんな、こっちを注目しているような気がして、少し緊張気味に亨は声を掛けた。
「俊一、おまえ学校はどうした?」
 少年はびっくりしたように亨を振り返り、笑うのを我慢するような変な顔で言った。
「こ、この人が警察まで案内して欲しいって言うからだよ」
「本当だな?」
「本当です、あたしが頼んだの。どうしてもあなたに会いたくて」
 少女が振り返る。顔にかかる髪を掻き上げて、亨に微笑した。
「……!!」
 恭子。
「夏希!? 何考えてんだおまえ、こんなっ、スカートまで履いてっ!」
 耳で光るのはサファイアのピアス。うっすらと化粧までして、作り声を出せば一見背の高い美少女だ。
「そっくりだろ? 俺も着替えて鏡見たらあんまり綺麗だから、本当は俺、恭子なのかもって思っちゃった」
 向こう側で耳を澄ましているだろう清美に聞こえないように、小さな声で夏希は言って、それから声のトーンを戻した。
「今日二十八歳の誕生日でしょ? これはプレゼントの大サービス。今夜デートしてあげる」
 スカートをつまんでくるりと回り、ウインクしてみせる。
「可愛い?」
「あ、……ああ」
 うふ、と笑われて不覚にも亨は赤くなってしまった。はっと我に返って、声を殺して笑っているもう一人の少年に向かって言う。
「笑うなっ。大体夏希、その服とか……かつらとかはどうしたんだ」
「俊一のお姉さんに貸してもらったの、お姉さんのっちゃってお化粧までしてくれて、ねー」
「ねーって、ちょっと待て、おまえたち知り合いなのか?」
 何を今更、とでも言いたげな顔で少年二人は顔を見合わせ、夏希はこっくんと頷いた。小声で言う。
「そうだよ。こいつにバイクの盗み方教えてやったの俺だもん」
「そんなことを威張って言うな」
 こつんと夏希の額を小突いて、亨は中学生の方を向いた。
「俊一、ちゃんと家に帰れよ? 帰れる家があって、おまえを待ってる誰かがいるんだから。おまえを待ってるってことは、おまえのことしか考えてないってことだ」
 俊一は久しぶりに会う大男の顔を、黙って見上げている。夏希も緩くカールさせた睫毛の目を瞬いて黙っている。
「何か気に入らなかったり思ってることがあるなら、親御さんと向かい合って話し合うんだ。困ったことがあるなら、俺の所に来ればいいから。お母さんなんか特に、きっと心配して、淋しがってるぞ。待たされてる方が人間、淋しいんだから。親御さんにとっておまえは、誰よりも大切で可愛い息子なんだ。それを忘れるなよ」
 それから亨は女装の同居人を見下ろして言った。
「夏希も十八歳なんだから、中学生の面倒はちゃんと見て相談に乗ってやれよ」
「なあに、やけに言うことに実感こもってるじゃない」
 言葉だけは少女らしいが、夏希はニヤリといやらしく目を細める。
「おまえも淋しかったのか?」
 からかうような夏希の小さな声に、亨は視線を空中で止めた。
 淋し……かったのだろうか。恭子がいなくなってから、他には誰も愛さなくなるほど。見ず知らずの少年を、家族にしたくなるほど。
「おまえたちは」
 夏希の言葉には答えず、亨は二人を等分に見下ろした。
「おまえたちは自分の価値を知らなすぎる」 
 俊一はそれを聞いて微かに俯いた。気づかずに夏希は亨の首に抱きつく。
「そっか、淋しかったのか。じゃ俺が一緒にいてやるよ、亨が嫁さんもらうまでいてやる」
 そのまま耳元で囁いた。
「この恰好は亨のためなんだぜ、こうやって見せつけとけば、清美おまえに迫らなくなるだろ?」
 得意そうな声に、亨は苦笑した。細い腰に腕を回して、ちらりと少年課の方に目をやると全員が自分たちを見ている。当然、清美も。
「……サンキュ」
 わざとらしく髪に頬ずりしてやる。
「歌ってくれよ、ラピュタの歌。『君を乗せて』だったか?」
「うん、いくらでも歌ってあげる。昼間バイトもして、二人の愛の巣のお家賃半分出すわねっ!」
 見れば清美は悔しそうに悶絶している。亨は恋人らしく見えるように夏希の髪を撫でて……ずるっ。
「あっ」
「……かつらが取れちゃった」
「どーする?」
「どーするじゃないだろ」
 他人事だと思って大笑いしていた俊一が、亨の手からかつらを取って、ほい、と亨の頭に乗せた。半分抱き合ったままのポーズでそれを見た夏希が、一言。
「亨、気持ち悪い」
「しっ……失礼しちゃうわっ」
 亨のオネエ言葉に署内は爆笑した。そんなに似合わない? と亨はガラス窓に自分の姿を映す。俊一も手を叩いて大ウケした。
「すっ──げえ変。みんなに教えてやりてえよ」
「あら嫌だ」
 女装の美少年の姿に戻った夏希が、わざと亨に体をすり寄せて言う。
「ウチの人のこと、家族で笑いものにしないでちょうだいよ」
「しまくってやるよ。一緒に住んでるなんて聞いてないぜ、このオカマカップルが」
 俊一の言葉に亨がガラス窓から振り返る。金髪の少年が小さく頷くのを刑事は見逃さなかった。それから、笑った。
「そうか、そんなに変か」
 めちゃめちゃ変、と少年二人は指を差して笑う。
 ……でも、大好き。
 そんな声が聞こえた気がして、一瞬亨は真顔になった。
 見れば柔らかい午後の光の中、手の届く所に無邪気な笑顔が二つ。亨は片手ですり寄っている夏希を抱いて、もう片方の手で俊一の頭を撫でた。
「このクソガキども」
 二人とも温かくて、亨はまた、笑った。

                                      Fine
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by new-chao | 2005-03-21 18:23 | 小説-うちへ、帰ろう(完)

うちへ、帰ろう あとがき

この話は、やっぱり書いててものすごく楽しかった覚えがありますね~。
こんにちは、チャオです。
この話は1995年5月28日に脱稿してまして、なんと今から約10年前に書いたものなんですね!
(@ ̄□ ̄@;)!! 自分で驚いた。10年か。
で、この作品で某出版社の新人賞佳作をいただきまして、文庫デビューの運びとなるわけです。
しかしこれ自体は活字にはなってません。
なんで? これもどっかに発表させろ!!
しかもさ、「タイトルが悪いから変えろ」とか言いやがって、別に出版してくれるわけじゃないんだからタイトルなんてどうでもいいじゃんかよ! ということで、このタイトルは元々あたしが付けたタイトルです。


愛した人と同じ顔をした誰か、というモチーフが、あたしは凄く好きです。
同じ顔してたら、んでその人のことすごくすごく好きだったら。違う人だと判ってても、好きになっちゃうんじゃないかなあ。は? あたし? あたしは彼と同じ顔してるからって、誰かを好きになるとは思わないけど。相手が旦那に限ってよ。だってあたしは、あのモアイ顔を好きになった訳じゃないもーん。
人を好きになるということは、すごいパワーがありますよね。
そのパワーを楽しい方に向けて生きていけたらいい、と思います。
ここまで読んでくださってる方、いるのかなぁ。
そこのあなた様。
どうもありがとう。
あたしが小説を書いていられるのは、多分あなた様のお陰です。
ではまた次の小説でお会いしましょう^^
                                          2005年3月21日
あなたへ                                            チャオ
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by new-chao | 2005-03-21 17:29 | 小説-うちへ、帰ろう(完)