黄金のドア
8. 束の間の自由
クールに指示された通り、祥一郎はその小さな体を活かして格子を潜り、自分の身長とほとんど変わらない大きさの鍵を取ってきた。彼が床を滑らせて牢の中に入れたキーを、芳真が素早く拾い上げ、重たい南京錠の穴に突っ込む。 「水都見つけて逃げるぞ、こっちだ!」 やけに恰好良くひらりとかしげに跨がって、祥一郎が怒鳴った。クールの長い足をかい潜って、犬は一目散に廊下を走りだす。 ガチャン、と閉まった時同様の音を立てて、鍵が開いた。芳真が肩をぶつけるようにして扉を開け、外へ飛び出す。犬はもう突き当たりまで行っていて、角を曲がりかけている。 舞も二人の後を追って駆け出そうとした。が、できなかった。 「っ、おい」 祥一郎は行ってしまったが、芳真は気がついて立ち止まった。クールが片手で、舞の襟首を捕まえている。 「ちょっとクールさん、離してよ」 「おっさん何すんだよ、出ていいって言ったのおっさんだぞ」 「そんなこと言ったかな? 私は」 「言ったぜ、小人がいれば出られるって」 「ああ」 クールは合点がいったと頷いて、舞を掴む手を襟首から腕にずらした。 「出られるとは言ったけど、逃がすとは言ってない」 「なっ」 舞は逃れようとジタバタしたが、クールの力は緩まない。痛いほどの力でもないけれど、離す気もまるでないらしい。 「何言いやがるてめえっ、俺のこと騙したな!」 「大人ですから。騙し騙されて生きるもの、それが人間だぜ、兄ちゃん」 「この野郎おお」 「やめて、芳真君!」 殴りかかろうとする芳真を、舞は焦って止めた。勝ち目がないような気がする。 「クールさん、離してよ! だって芳真君、犯人じゃないんですよっ!!」 「そんなことはどっちでもいいのさ」 さらりと言ってのけるクールに、舞と芳真は顔を見合わせた。高いところから、さらにクールが言う。 「要は犯人らしい男がいれば、それでいい」 先刻までのおちゃらけた態度からは想像できない、艶っぽい低い声で。 犯人らしい男がいればいい。 なんて、どういう意味だ。これでは何だか、まるで。 ──まるで犯人が誰か、本当は知ってる、みたい。 「クールさん」 舞は振り返り、ほとんど直角に顎を上げないと見えないくらい上にある、クールの顔を見上げた。赤い炎に透ける、アクアマリンの瞳。 「あんたはあたしたちの敵なの、味方なの」 芳真も黙って、彼の返事を待っている。 だがクールは何も言わず、手にしていた松明を半開きの鉄格子の側に放り出した。他に燃えそうな物はないから、火事にはならないだろうが。 「おっさん」 言いかけた芳真が口をつぐんだ。クールは胸に舞を引き寄せて、先刻まで松明を持っていた方の手を、捨てた松明へ伸ばした。 「ドラゴンの咆哮、土を流し、狼の遠吠え、風を裂き、ここへ集う炎の夕べ。踊れ、発破の舞。鉄の障壁を七つの海の彼方へ──天啓を待て」 妙な迫力に押されて、舞は息を詰める。クールが変わった節回しで呟いているのは、ひょっとして、呪文だろうか。 クールは伸ばしていた手を一度自分の額に当てて、それから再び炎に翳した。そして。 「点火!」 宣言した途端、炎が天井まで伸びて牢の扉を覆った。熱風が押し寄せて、舞は両手で顔を庇った。芳真も体を捩じって熱気の直撃をかわす。 舞が恐る恐る手を離して見ると、もう炎はなく、熱でぐにゃりと歪んだ扉が、無残な形で土の廊下に倒れていた。完全に、壊れている。 「な……なんで?」 わざわざ牢を壊すなんて。 舞の問いに、クールは小さな目でウインクすると、ニヤリと笑った。 ◇ ◇ ◇ 「……それであんたはどうするつもりなんだ」 耳の奥に、まだ細い笛の音が残っている。 バンドの練習は終わっている筈だ。これはだからきっと、耳鳴りだ。 アクセルは軽く頭を一振りして、壁を背に立っている水都を見返した。 この国の女たちで、ショートカットにしている者はごく少数、というよりほとんどゼロだ。水都のように白いうなじを完全に露出させているのは男だと、誰もが思ってしまうのも仕方がない。だがもし彼女が髪を伸ばし、裾の長く広がったドレスを着ていたとしても、他の者たちは思うのではないだろうか。美しい少年が、女に化けている、と。 華奢な肢体に、凛然と見据える黒い瞳。彼女の名は体を表している。 まるで、都を守るために天から遣わされた、水の剣を使う戦士のようだ。翼を持つ竜を従えて、遙か天空を翔けるもの。 「私を殺して、死体を始末して、それから?」 ──あなたとは似合いだ。 俺もそう思うよ、本当に。 「それからのことなんて、おまえにはどうでもいいことじゃないのか?」 「どうでもいいよ、あんたのことなんてね。私が訊いているのはこの国のことだ」 落ちついた、堂々とした声。 怯えている様子は微塵もない。これから殺されるかもしれないのに、この女は……鈍感なのか、強靱なのか。 しかし。 「この国のこと?」 「ああ。私はいい、私は余所者だからな、死んだところでここの人々には何の支障もないだろう。だが、その後は? 今回は失敗したから、今度こそ父親を殺るのか? 復讐のために? それでどうなるんだ?」 「どうなる?」 アクセルは足を組みなおした。ふと思いついて、脱ぎ捨てたシャツを着直す。 「自明の理だ。思い知るだろう」 「誰が?」 間髪を入れずに水都が言った。声を荒らげもせずに。 「誰に思い知らせたいんだ、父親か? でももう死んだんだぞ。死んだら終わりだ、何とも思わないし何も感じない。思い知りもしない」 風が吹いて、アクセルのシャツを膨らませる。 「それで何が残る、あんたには兄弟も子供もいない、後継者はなしだ。国民には不信を抱かせて、この総統家は没落」 水都は唇の端でうっすらと笑った。 「思い知らせるには、あんまりいい手じゃないな」 「おまえ」 アクセルは立ち上がりたくなる衝動を、膝に力を入れることで耐えた。その冷静な目が、淡々とした口調が、言われている内容よりもっと彼を苛立たせる。 「今、自分がどういう状況にいるのか判ってるんだろうな」 「あんたはどうなんだ。いいだろう、父親への当てつけに、占いで選ばれた妻を、汚れなき乙女たちを次々と殺していってみようか。あんたが殺ったってことは隠しても、死んだのは事実だ、あんたはそのうち『死に神アクセル』って呼ばれるようになって、誰もお嫁さんにはなってくれず、やっぱり後継ぎはなしだ。どうする? 一人ぐらい生かしておくか、それとも養子を取るか。どっかの誰かみたいに、占いで選んで?」 やる、と思うより先に手が伸びていた。 片手で充分なくらい細い水都の喉を、両手で締め上げる。手首の腕輪が夕日を反射して、ギラリとアクセルの目を射抜く。 「……あんたは」 苦しそうの眉を寄せて、だが目は逸らさず、水都が言った。 「どう……したいんだ。私……を殺っても、何も……変わらないんだぞ」 アクセルは鼻先で笑った。 「あれだけ平気でペラペラ喋っておいて、今更命乞いか」 「平……気じゃない。震えてるよ」 水都が彼の手を引き剥がそうと爪を立てる。アクセルはいっそう力を込めて、彼女の体をつり上げた。 「アクセル……」 「ごめんなさいって言えよ」 水都は一度ゆっくり目を閉じると、笑った。静かに、優しく。 慈しむように。 「あんたは一生……黙ってるしか、ない」 「うるさい」 「どんな……に秘密が、重くても」 「うるさい、黙れ!」 「……可哀相、に」 「っ!!」 アクセルは吊り上げていた水都を、力任せに床に叩きつけた。体のどこかが当たったのか、先刻起こしたイスがまた倒れ、ついでに鏡台にぶつかって鏡を震わせた。 《可哀相に》 この女。俺を哀れんだ。 《可哀相に》 この女。本当に俺のことを、可哀相がっている目で見た。 処女のくせに──母のような、顔を。 「うっ……」 頭を打ったのか、呻きながら水都が体を起こす。アクセルは血が逆流する気がした。心臓が喉まで競り上がった。 獣の動きで水都にのしかかり、細い手首を押さえつける。水都が蹴上げようとする足を体の下に敷いて、もう一度首を絞める。固い布地のズボン、ボタンが外れない。自由になった手で水都に顔を引っ掻かれる。水都が叫ぶ。手で口を塞ぐ。噛みつかれる。殴って黙らせ──ようとした時。 「水都──っ!!」 外から。窓の外から? 知らない男の声が。 「迎えに来たぞ、返事しろお!!」 相手がしゃがんでいるのか、姿は見えない。ヨシマ? まさか。 アクセルは水都の首から乱暴に手を離すと、大股で窓に近寄った。だが外には誰もいない。いや、茶色の犬が一匹。 いや、その上に。 「なんだ、こいつは」 「つまむなっ」 犬に乗っていた手のひら大の男が憤慨そうにわめいたが、アクセルは気にも止めず、そいつの襟首をつまみ上げた。犬がやかましく吠え立てる。返せとでも言っているのか。 ゲホゲホと咳き込みながら、絞められていた喉に手をやった水都が、アクセル以上に驚いた顔で小人を見た。 「祥……一郎……!?」 「おーす」 「知り合いなのか、おまえたち」 「しょ、祥一郎、どっ、どうしたんだその恰 好」 「ちっとな、いろいろあったんだよ。……それより、おいおまえ、いつまで人のことネズミ扱いしてんだよ、降ろせ!」 アクセルは水都と小人とを交互に見た。二人が知り合いということは、この小さい男も余所から来た人間ということだろう。そういえば水都を拾った時、ヨシマの他にも男がいたような気がする。 だがあの男は、もっと……ずいぶん長身だったと思うが。 「あっ、水都、ここんとこ腫れてるぞ、大丈夫か? おい、おまえ! 女に怪我させるなんて最低だぞ! 聞いてんのかっ!」 「うるさいな。何なんだ、おまえは。ひねり潰してやろう」 「アクセル!!」 アクセルが小人を握り直すのと、水都が焦って彼にすがりつくのは同時だった。 その一秒後。 「アクセル様!!」 今度は廊下からだ。クールの声。 「何だ?」 うんざりしながら怒鳴ると、ドアの向こうにいたのはノッポの魔法使いだけではなかった。 乱れた金髪のヨシマと、知らない少女。前で手を縛られて、引っ立てられるように。 「舞!?」 小人が指の間から叫んだ。少女の気の強そうな顔が、ヘニャと歪んだ。 「ごめん、捕まっちゃった」 「アクセル様、牢が壊されました。しばらくは使用できません」 ……やれやれ。 口には出さないが、胸の内ではきっぱり溜め息まじりに呟いて、アクセルはその場の全員を平等に眺めた。 こいつらは全員、外の人間だ。始末を付けるなら、こいつら自身にやらせる方が手っとり早い。 「俺から逃げられると思うのか」 アクセルは男を持っているのと逆の手で、水都を立たせてやった。決して乱暴な仕種ではなく、労るように。 この気高い、美しい女を。 憎んでいる訳ではない。少しぐらいは、いや実は結構──気に入った。 好きだよ。 「クール、この者たちを鏡の間へお連れしろ。北の塔のな」
by new-chao
| 2005-08-10 19:18
| 小説-黄金のドア(完)
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