黄金のドア
パパ、余計なこと言わないで! お姉ちゃんは頼まれたら嫌だなんて言わないんだから。我慢しちゃうんだから!
「あたしは」 「お姉ちゃん!」 成美が口を開く前に舞は呼んだ。必死だった。必死に呼ばないと、姉には自分の声が届かないような気がして。 お姉ちゃんだって、お姉ちゃんだって、浮気したら許さないって言ってたじゃない! 「舞」 成美はいつものように笑った。 「大丈夫よ。お姉ちゃんは、残る」 何が大丈夫なのよ、何が! あたしたちたった二人の姉妹なんだよ。パパとママは元は他人かもしれないけど、あたしとお姉ちゃんは違うんだよ。あたしこれから遠くに行くのに、何もかも一からになるのに、あたしを一人にするの? だが何も言えないまま、舞は家を出ることになった。祖父の家に向かう車の中で母が言った。 「お姉ちゃんが来ないなんて、ガッカリね、舞」 ……ああ、そう、なんだ。 口調は舞に向けられていたけれど、今のは独り言だった。本音だった。 ママはお姉ちゃんが欲しかったんだ。あたしじゃなくて。パパもあたしがママって言った時止めなかった。お姉ちゃんが残るって言ったら、にやって笑った。 そりゃお姉ちゃんはあたしより大人だし、頭もいいし、頼りになるわよ。あたしよりずっといい人間なのは当たり前だし、あたしだってそう思うし、判ってる。 判っては、いる、けど。 ……ママはあたしじゃ嫌だったんだ。 あたしは要らなかったんだ。パパも、あたしが残るって言わなくてホッとしたんだ。 どうして? あたしが子供でバカだから? あたしの方がお姉ちゃんより三年余計にお金が掛かるから? ねえ、なんでなのよ、判んないよ、そんなの、判んないよ! ごめんねママ、でもあたし、ママに捨てられたらどうやって生きて行けばいいか判らない。ごめんねママ、あたし、どこにも行けない。 ねえ、ママ教えて。 あたし、ここにいても、いいの? 「おまえには悪いけど、俺は戻れなくてもいい」 黙り込んでしまった舞の隣で、芳真は床に投げ出した自分の爪先を見下ろしながら言った。舞はその声に顔を上げた。 いい加減に伸ばした金髪で隠されて、彼の表情は見えない。 「俺が死んでも悲しむ奴いないし」 「なにそれ」 その言い方だと、まるで彼も、自分の家に身の置き所がないみたいではないか。 どっかの誰かと同じで。 「なによ、それ。じゃ、芳真君死んだら家の人喜ぶって言うの?」 「……そうだな」 前髪の向こうで、芳真の声がかすれて揺れた。笑ったのかもしれない。 嫌だ。 「やだ、ちょっと待ってよ、そんなの」 そんなの、それが本当なら。……しすぎる。 「待ってよ、芳真君それでいいのっ?」 舞は彼の腕を掴んでこっちを向かせようとしかけて、一瞬ためらって、だがやっぱりグイッと引っ張ってやった。すぐたたき落とされた。 「っ、何だよ、触んじゃねーよっ。よくても悪くても、相手がそうなんだからしょうがねえだろうが」 「違うわよ、そうじゃなくて、喜ばせといていいのかって言ってんのっ」 「は?」 やっと芳真がこっちを見た。舞は叩かれた手をさすりながら言った。 「芳真君が死んじゃったのに、それ喜んだりするような人を、そのままにしとく訳? 喜ばせちゃっていいの? あたしだったら、超悔しいわよ! そんな奴、素直に喜ばせてなんかやるもんか!」 「やるもんかって、なら、どーするんだよ」 「こんなところで死なないのよ!」 高らかに言い放って、舞はギュッと拳を握った。 「そりゃいつかは死ぬだろうけど、それまでは生きて、凄いことやって、目一杯楽しいことして幸せになって、そいつらギャフンって言わせてやんのよ、ざまあみろって言ってやるのよ!!」 舞の声が地下牢中に響きわたって、芳真は呆気に取られて絶句した。舞もゼーゼー言っている。 と。 「いやー、こりゃまた競馬馬並みに前向きな子だねえ。感心感心」 ハッとして舞は鉄格子に飛びついた。 興奮して演説ぶっていたので、気づかなかったのだろうか。手に松明を持った、やけに背の高い男が牢の外に立っている。フード付きの深緑のローブに、童顔。男なのにやけに胸が出っ張っている……と思ったら。 「かっ、……かしげ!!」 ひょ、とローブの襟から、鼻回りの黒い懐かしい顔が飛び出した。 「何しに来たんだよ、おっさん」 嫌そうに言う芳真を無視して、ノッポは腰をかがめて舞と目を合わせた。 「いやね、このムクムク騎士が裏庭の隠しドアの辺りをうろうろしてるから、地下牢にはどんなお姫サマが囚われてるのかと、ちょっと覗きに来た次第」 「お、……おじさん、誰?」 「おじさんとは心外な! いくつに見えます?」 何なんだろう? この人。 恐る恐る舞が手を出すと、男は何のためらいもなく犬を渡してくれた。鉄格子の間から、かしげの体は難なく中へ入った。おなかを触って、あっ、と言いそうになったが我慢する。 「いくつって、あたし男の人の年ってよく判んないんで」 「そこを何とか!」 「さ、三十……七、ぐらい?」 「ああああ」 男が悶え、芳真が笑った。 「一つ年食ったぜ、おっさん。若い時なんてホント一瞬で終わっちまったな」 「やかましいっ、勝手な発言は控えるように。お姫サマ、三十七のどこがおじさんなんです?」 「えっ」 ずいっと顔を近づけられて、舞はかしげを抱いたまま一歩下がった。 「だ、だって、うちのパパが四十一だから、四つしか違わないんじゃやっぱ、三十七もおじさんなんじゃあ」 「うむぅ、そりゃ私にも息子ぐらいおりますが」 男は空いている方の手で顎を撫でながら、うーむと唸っている。舞は芳真の側まで行って、小さな声で訊いてみた。 「ね、この人誰なの」 芳真も声を顰めて答える。 「ここの、占い師だってよ」 「兼、魔術師のクール・ロビンです」 ひそひそ話だが聞こえていたらしい。 舞はえへへへと愛想笑いをした。 「あの、それで? クールさん、あたしたちを出しに来てくれたんですか」 舞の問いにクールも笑顔で答える。 「いいえ、それはまだ。おい、兄ちゃん、真犯人は見つけられたのか?」 「そりゃ、おっさんの仕事だろうが。閉じ込められてる俺に何ができるってんだよ」 「あらら、そんな消極的なこと言って、少しはこっちの子の前向きさを見習いなさいよ。自分じゃ何にもしないでブツブツ言ってる男って、やーねえー」 男っぽい低音のまま急にオネエになってしまったので、舞は呆気に取られて、口を開けたまま頷いた。一体何なのだ。 しかしこの調子の良さなら、ぺらぺら喋ってくれるかもしれない。 「あ、あの、水都さんはどこにいるんですか? 無事ですよね?」 「ミトさん? ……あああの美人さんね、いますよ、一番南の、中庭が見えるゲストルームにね。無事かどうかは定かじゃないけど。いひひひ」 クールがいやらしい笑い方をするのでつられて笑ってしまってから、舞はハッと我に返った。 どーいう意味だ。 「ところで」 笑っていたクールが、不意に格子の間から松明を中に突っ込んだ。ぼわっ、と牢の内部が明るくなる。 「先刻から気になってるんだが……何だか知らない男の気配がするなあ」 ギク。 舞は咄嗟に、表情をクールに見られないように芳真の方を向いた。が、芳真もキョトンと舞を見た。 「何よ」 「何って、おまえ、男だったのか」 「ばっ、ばか、違うに決まってんでしょっ。おじさんが言ってるのはかしげのことよ」 「そうかな?」 クールが松明の先で、舞の手元を示した。舞はかしげに覆いかぶさるようにして自分の手元を見下ろした。 「あ」 茶色い犬の毛の間から、似たようなアースカラーの、でも紛れもなく人間の男用のごつい靴が。 「……祥一郎さん、バレてる」 「え? バレてるって何だよ?」 芳真も立ち上がり、犬の下を覗き込んだ。もぞもぞと犬の腹にしがみついていたらしい何かが毛を動かして、小さな手が、続いて頭と体が出てきた。 「あーあ」 「舞、こいつまだノミいるぞ。俺食われそうになっちまった。おまえのせいだぞ」 「げっ、こいつっ、おまえ、どうしたんだよ!?」 ミニチュア祥一郎に芳真は大声を上げ、舞を見て、クールを見た。クールはゆっくり瞬きして見せた。 「こっ、……小人……!?」 「牢の鍵を取って来れるな、今なら」
by new-chao
| 2005-06-07 16:20
| 小説-黄金のドア(5)
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