黄金のドア
真上にある舞の顔を、ずっと見上げるのは疲れる。祥一郎は両手を頭の後ろで組んで、舞にもたれかかった。
「その時、俺は告白しなかったな、って」 「双子って、そっくりなんですか?」 「そっくりそっくり、見分けつく奴なんて他人にはいないんじゃないか」 「へえーっ」 舞は面白そうに祥一郎を覗き込んだ。 「前の学校に双子の人いたけど、見分けつかないくらいそっくりじゃなかったな。……俺は、ってことは、お兄さんは告白したんでしょう? 祥一郎さんは、なんでしなかったんですか?」 「そりゃあ、……」 なんで、だろう。 水色からオレンジに変わりつつある空を見たまま、舞の何気ない質問に祥一郎は固まってしまった。 「お兄さんと女の子はうまく行ったんですか? お兄さんフラれた?」 「……フラれたな、そう言えば」 そうだ。だから言わなかった。 秀一郎が駄目だったから、きっと彼女は俺の方がいいんだと思って、勝手にそういうことにして、わざと確かめなかったんだ。そうすれば俺の勝ちで、あたしサッカー部のなんとか君が好きだからごめん、などと言われずに済むから。 彼女とは二・三回お茶飲みに行って、一回合コンで飲んで、下宿まで送って。それだけだった。 本当は、真剣に好きでもなかったのかもしれない。あいつに勝ったから、それで用は済んだと。 本当は。 「俺って卑怯だ」 「え?」 「フラれんの嫌だったからだよ。兄貴がフラれたんだから、同じ顔してる俺も駄目に決まってるじゃないか?」 「そんなこと」 舞がジロリと祥一郎を睨んだ。彼の顔の大きさと同じぐらいの唇を尖らせて。 彼の不甲斐なさを怒ったのかと思ったが。 「そんなこと、言ってみなきゃ判りませんよ、いくらそっくりでも別の人間なんだから。双子だからって、見た目だけじゃなくて中身まで自分と一緒みたいに思うのは、お兄さんに悪いです」 祥一郎は返事をしなかった。 そっくりすぎて、意識して、でも他人にそっくりだと言われると腹が立った……秀一郎。 俺があいつを、俺と一緒だと思ってる? 舞は、祥一郎が黙ったのを彼が気を悪くしたのだと思ったらしく、慌ててすいませんすいませんと言っ──ている途中で「ひゃあ」と叫んだ。 舞が指さす方向、森の中からこっちに向かって、人の足が二本生えている。脛の真ん中までの、黒い編み上げブーツ。 「あっ、だっ、誰か倒れてる!」 「ちょっ、おじさん! しっかりして!!」 舞が駆け寄ってみると、倒れていたのは中年──というよりは老年の域に入りかかっていそうな、六十歳ぐらいの男だった。 焦げ茶の布を丸めた上に、見事に禿げた頭を乗せてノビている。もみ上げから顔の下半分を覆うヒゲは真っ白で、だが凛々しい眉毛は黒々して、縦横どっちにも大きな体。 ベージュ色のシャツは胸の真ん中までボタンが外れているが、血が出ている様子は取り敢えずない。 「やだ、祥一郎さんどうしよう?」 祥一郎は舞のシャツを引っ張りながら、よじ登るようにポケットから出ると、飾りネクタイを伝って男の胸の上に降りた。鼓動を確かめるつもりらしい。 「ねえ、おじさん! 起きてよお!!」 と。 「あー、判った、起きる。起きるからそう騒ぐんじゃないよ」 いきなりムクッと男が身を起こすので、祥一郎はバランスを崩して男の腹を滑り落ちそうになってしまった。 「うぉっとぉ」 「あ? なんだ、おまえ」 寝ぼけ眼で男が祥一郎をつまみ上げる。 「まっ、待って、その人はあたしの」 「ん?」 男がやっと舞を見た。舞は慌てて手を出すす。 「なんだ、先刻から騒いでたの、お嬢ちゃんか?」 「その人返して下さい、大事なんですから!」 「その人、って、コレ? このちっこいの」 「元は大きかったんです! 失くすとすっごく困るんです!!」 「やっぱり俺は財布かっ」 小手のような物を着けた左手で祥一郎をつまんでいた彼は、不思議そうに二人を見比べて、ふと笑った。 「俺もとうとうモーロクしたかと思ったが、違ったか。やっぱりお姫サンが言うように、仕事の途中で寝るのはやめにするかな……ほいよ、お返ししましょう」 祥一郎を舞の手に乗せて、男はうーんと伸びをする。 「あー、にしてもよく寝たな。千里? あれ、千里はどこ行った」 舞と祥一郎は顔を見合わせた。 心配ないと判ったのか、街道に立ち尽くしていたかしげも側に来る。 「ひょっとして……おじさん、単にお昼寝してただけ?」 「ひょっとしなくてもそうだが? 襲われてノビてると思った? そりゃ、悪かったな。千里!」 誰かを呼んでいるようだが、千里さんは一向に現れない。男は立ち上がって森の奥を見やった。思ったとおり、やたら大きい。 祥一郎がまた舞を見た。彼の思ったことが判って、舞も彼を見返す。 「このおじさん、ショーン・コネリーに似てますね」 「ああ、俺もそう思」 「呼んだか?」 小さな声だったのに、男がくるっと振り返った。 「どうして俺の名前知ってるんだ? おまえさん方」 「え、知、知りませんけど」 「ショーンて呼んだろ」 「ショーンさんて言うんですか?」 男は眉間に皺を寄せて、不審げに舞を見回した。 「そうだ。俺はショーン・ディスカ、郵便屋だ。お嬢は?」 「あたしは、舞です。彼は祥一郎さん。あの子はかしげで、ついて来ちゃったの。友達を探し──迎えにいくところなんですけど」 「ふん、何か胡散臭いが……ああ、そんな恰好してるとこ見ると、おまえさん方、余所から来たんだな?」 舞は頷きかけて、はっとした。余所から来たと判るということは、帰り方も知っているかもしれない。 「あっ、そ、そうなんですけど、どうやったら帰れるか、ショーンさん知ってますか?」 「は?」 指笛をピィーッと吹いて、ショーンは上の方から呆れ顔で舞を見た。 「いや、俺も余所から来た奴の顔見んの初めてだから。ひょっとして迷子か?」 「ちょっと違いますけど」 やっぱり駄目か。残念。 突風で髪が顔に掛かった。耳に髪を引っかけつつ、救いを求めるように手の上の祥一郎を見ると、彼は任せとけ、と頷いてみせ、背伸びしてショーンに言った。 「でも総統の家は知ってますよね?」 ショーンは手のひらサイズの彼を、よくできてるなーと言いたそうにしげしげ眺めてから、舞の方に向かって訊いた。 「総統って、どの?」 「おじさん、俺が訊いてんのに無視するなよ! どの、って、何人もいるのか?」 「五人いる。この辺りだと一番近いのは、ヴァンスの城だが、そこに行くのか?」 「はい、あの、連れて……ひゃっ」 連れていって下さい、と頼もうとしたのだが、途中でつかえてしまった。 何か生暖か冷たいものが、不意に耳に触ったのだ。もにょ、と。 もにょ? 「おお、どこ行ってたんだ? 千里」 ホッとしたように言って、ショーンが舞の後ろに手を伸ばし、大きな馬ヅラをぽんぽん叩いた。舞はそーっと振り返った。 文字通り、馬の面がある。 「千里さんって、馬の名前、だったんですか」 「おうよ、俺の相棒で商売道具だ」 彼に撫でられている間も、千里という茶色い馬は唇をまくって笑っているみたいな表情で、舞の頭から顔を突っ付いてくる。 先刻の、もにょ、は千里にキスされたかららしい。 「なんだ、千里、お嬢ちゃん好きなのか?」 ブヒンブヒンッ。 「千里も乗ってけっつってるし、ついでにそのワンコロぐらい乗ってもどうってことないぞ、乗ってくか?」 「乗りたいです! お願いします!」 ショーンは枕がわりにしていた焦げ茶の布を拾い上げると、ふわりと広げて舞の肩にグルグル巻きにした。肩から膝まで覆うぐらいの、マントだったのだ。 「飛ばすと結構冷えるからな。にしても、そんな短いスカートで可愛いあんよ出して歩いて、節操なしの若いのに会ったら、何されるか判らんぞ? ここには昼間っから足見せてるお嬢なんていないからな。それじゃ、ここに足乗せて──まずお嬢ちゃんが乗る。次にワン子が」 ショーンが抱き上げようと手を伸ばすと、かしげは猛ダッシュで逃げてしまう。しょうがないので舞は一旦降りて、犬を抱え、先に乗ったショーンに引っ張り上げてもらった。後ろから舞を囲うようにして、ショーンが手綱を握る。 「ワン子と小人落とすなよ、じゃ出発だ」 (5)へ続く
by new-chao
| 2005-05-19 14:10
| 小説-黄金のドア(4)
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